うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Donoso Cortes』R.A.Herrera

 ドノーソ・コルテスは熱心な宗教家であり、また、時代のなかでもっともすぐれた政治理論家だった。しかし、当時から、現在にいたるまで毀誉褒貶の激しい人物である。

 彼は、当時隆盛を誇っていた合理主義と社会主義を断固として否定し、宗教……原罪sinと恩寵providenceを信じることのみが人間を救うと主張した。レッセ・フェール主義をふくむ合理主義、社会主義は、不信仰と無神論者の思想である。神でなく、人間が導く理性と哲学においては、真理と誤謬が一体化してしまっている。
プルードンはコルテスと正反対の思想家であり、敵だった。

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 彼は1809年に生まれ、1853年に死んだ。ドノーソ・コルテスはエルナン・コルテス将軍の親類である。青年時代に大学で学び、父親の法律事務所で働いた後、外交官となった。若き日のコルテスは、革命とフランス啓蒙主義に共感していた。当時、スペイン王政にたいし、聖職者と農民、地方分権を基盤としたカルロス党(Carlista)の叛乱が勃発していた。コルテスにとって、カルリスタとそれを支持するプロイセンオーストリア、ロシアは、悪しき反動の象徴だった。

 1830年フランスの七月革命とブルジョワジーを彼は熱烈に支持し、武力ではなく理想ideaこそが偉大な人物を生み、歴史をつくるのだ、と考えた。理想に基づく政治は進歩を妨げる要素を除去するだろう、という、楽観的な、ヘーゲル風の世界観に彼は染まっていた。

 1836年頃より、スペインの自由主義者(liberals)は革命志向の進歩派と、ブルジョアおよび君主制を擁護する穏健派に分裂していた。コルテスら穏健派はマドリードアテネオで講義をおこなった。

 アテネオthe Ateneoとはマドリードの文芸クラブであり、またその建物をさす。

 この講義で、コルテスはとくに主権の問題を論じた。彼によれば、だれが主権者かという問いには、三つの解決がある……神権、および人民主権、そして知性intelligenceの原則である。ところがコルテスによれば、神権と人民主権のどちらも専制なのだ。

 統治は、もっともすぐれた知性をもつ人たちによっておこなわれなければならない。よって望ましい体制は代議制representativeである。

 自由主義者だった時代のコルテスの思想にも、宗教的な要素、また、専制的な要素が垣間見える。政府を可能にする知性と、個人を可能にする自由とのバランスをとることのできる存在は、神のみである。

 社会の危機の際には、知性をもつ独裁者による統治が許される。フランス革命については、人民大衆popular massesおよびソフィストの出現を危惧した。

 

 アテネオでの講義を通じて、徐々にコルテスは自由主義から遠ざかっていった。やがて、君主、教会、人民と調和しないものとして、議会を否定するようになった。

 1639年に、第一次カルロス党戦争がおわった。この間、1837年から40年まで、コルテスは雑誌を主宰し、また活発に寄稿をおこなった。

 マドリードで叛乱がおこり、女王マリア・クリスチナがフランスに亡命すると、ドノーソもついていく。パリの歴史研究院で教鞭をとるかたわら、彼は「パリ通信」など一連の執筆活動をおこなう。

 この著作において、ドノーソは戦争について次のように定義する。彼はド・メーストルDe Maistreから強い影響を受け、戦争を「永遠の必要性」に基づく「神聖な事実」ととらえる。戦争は天から与えられたものである、戦争は文明を発展させるための制度である。さらに、戦争は、アダムの原罪をつぐなうことと関連がある。個々の人間は苦しみによって贖罪をおこなうが、人類は戦争という流血によって罪をあがなうのだ。戦争を根絶しようとするすべての試みはさらなる戦争と流血を招く。

 1848年の2月革命の数年前から、徐々にドノーソは理性reasonと議論discussionに不信を抱くようになっていた。彼は代表的君主制を支持し、また教会の独立を主張した。

 フランス革命は人間の理性を神とし、本来の神を追放してしまった。教皇なければ教会もなく、教会もなければこの世には混沌があるだけである。フランス革命は、異教の復活である。

 

 スペインに戻ってからの講義では、古代イスラエルを神政の実現された体制として賛美した。

 2月革命によってフランスに第二共和政がおこり、つづいてプロイセンオーストリアなどに次々と革命が伝播する。ドノーソはこの出来事に決定的な影響をうける。スペインでも反乱がおこるが、ドノーソの友人ナルバエス将軍が鎮圧する。

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 ドノーソの思想は反動的、宗教的に傾いていく。宗教改革は、彼によれば、絶対的な君主制を生み出した。政府は百万の兵(常備軍)と百万の目(警察)と百万の耳(官僚)をもつようになり、個人を守る中間組織は滅び、直接政府の力に晒されるようになってしまった。これは、地理的支配に限られた古代の僭主とは似て非なるものだ。

 自由は存在しないのだから、われわれに与えられた選択肢は、反乱insurrectionによる独裁か、政府governmentによる独裁のどちらかだ。確立した権威と、混沌そのものの革命と、どちらを支持するかといえば、当然権威のほうである。

 文明にはカトリック文明と哲学の文明の二つがある。カトリック文明は完璧な善であり、哲学の文明は完璧な悪である。

 人間は原罪によって深く損傷しているので、議論をすれば間違いにいたり、自由な選択は悪にいきつく。哲学は人間を善であり完璧と考える。哲学の文明は人間を悪へと導く。1789年に蒔かれた革命の毒はキリスト教をヨーロッパから排除してしまった。ヨーロッパはこのままでは亡びるだろう。カトリックこそ世界の領土domainであり、基盤である。

 独裁について、ヨーロッパ情勢について、スペインについてのドノーソの文書は、保守主義者の熱烈な賞賛を受けた。ドノーソはドイツをサタンの帝国と非難し、一方ロシアこそ神の天罰を世界に押し付けられる国と賛美した。

 1851年、ドノーソは「カトリシズム、自由主義社会主義についてのエッセイ」(El ensayo sobre el catolicismo, el liberalismo, el socialismo)を出版する。あきらかに論争を企図して書かれた反革命反自由主義、反社会主義、反プロテスタントの論文で、ただちに喝采と批判をうけた。

 このエッセイでもドノーソは、カトリックこそ社会の基盤であり、多様性の統一であることを強調する。また、神の存在、定義については、クザヌスの思想、ネオプラトニズムの影響もみられる。

 合理主義から生まれた自由主義は、やがて無神論的な社会主義にいきつく。

 人間の連帯solidarityは、家族、職業、社会集団という中間集団によって達成される。しかし、自由主義社会主義はこの中間集団を破壊しようとする。国家が生身の個人にたいして無限の力を持ってしまう事態がやってくるだろう。

 エッセイは、アウグスティヌスに強く影響されている。人間の善性を説き、無神論的傾向をもつプルードンにたいしては、不倶戴天の敵としてこれを非難する。出版と報道(the press and journalism)については、人類を改善しようとしながら、宿命的に人類を堕落させてしまう機関とされる。

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 ロシアが社会主義にのっとられる、合理主義と哲学と人間の理性に基づいた政治が、文明の破壊をもたらす、あらたな異教崇拝がはじまる、などの予想から、ドノーソはカサンドラ(Cassandra 凶事の予言者)とよばれてきた。しかし、ノストラダムスではあるまいし、予言を特別視してもしょうがない。

 ドノーソは、19世紀を覆う楽観主義……人間の善性への信頼、人間は自らの力で正しい世界を創るだろうという見通しにたいして、容赦ない攻撃をおこなった。

 人間への信頼は、クリミア戦争や、さらに下って全体主義の登場によって、完全に裏切られた。

 

 神への信仰はわたしには理解しがたいが、ドノーソの用心深い思想には学ぶべき点がある。

 

Donoso Cortes: Cassandra of the Age

Donoso Cortes: Cassandra of the Age