うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ハザール事典』ミロラド・パヴィチ

 ――二度目の人生は、別のある修道院の僧に挑んでチェスに明け暮れたが、但しチェス盤も駒も使用しなかった。対局は一手ごとに一年をかけ、黒海からカスピ海に拡がる広大な空間を使った。駒には動物を用い、対局者は交互にその動物めがけて鷹を放ち……

 牝牛亭は席料を徴収するだけで酒も食事も出さない。カウンターもキッチンも、給仕もいない。各自が酒と食べ物を持ち寄り、赤の他人どうしがテーブルに同席し、無言で飲食する。

 10世紀頃に存在した王国、ハザールについての事典の形式をとった小説で、キリスト教イスラーム教、ユダヤ教の3つの部からなる。各巻は「王女アテー」や「ダウプマンヌス」といった人物、事項からなり、それぞれ重複が見られる。事典形式のなかに詰め込まれたのは、はじめに引用したような幻想的で荒唐無稽な短編である。

 歩幅が広く、一日に一回だけパカっと音をたてる馬、夢のなかを移動する人間、各宗教の地獄に住む悪魔……サタン、イブリース、アスモデウスなど、色とりどりの不思議な化物、幽霊、非現実が描かれる。

 舞台は中世のハザール王国とその周辺、もしくは現代の場合もある。しかし、それぞれの事項同士のつながりは薄く、矛盾していたり、各巻同士である人物の記述がまったく異なる。荒唐無稽さは物語に出てくる人と物にとどまらず、人物の会話もかみ合わないことが多い。たとえばある事態に反応してだれかがたとえ話をするが、このたとえ話がまったく意味不明ということがある。禅問答のように首をかしげたくなる。

 事典の形式をとっていながら、文章の視点や縮尺は自在に変化する。数百年単位の歴史記述から、ある男の一日一日の描写まで、語りは多様であり、単調にならない。中だるみはするが、最後までおもしろく読める空想小説だった。

 

ハザール事典―夢の狩人たちの物語 男性版

ハザール事典―夢の狩人たちの物語 男性版