うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『バルバロッサ作戦』パウル・カレル

 1941年6月22日からはじまった独ソ戦の歴史を書く。文庫本3巻からなる大著で、著者の戦記はほかに『彼らは来た』を読んだことがあるのみだ。

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 上巻

 フランス侵攻において、ヒトラーは地形的に不利なアルデンヌ地方を抜け、マジノ線を突破した。

 ――ヒトラーソ連にも同じ手を打とうとした。敵の予想しない地点に全兵力を投入し、戦線をかき乱して突破し、敵兵力に壊滅的打撃を与え、ついでモスクワ、レニングラード、ロストフという要衝を一気に占領する。しかる後に第二波がアストラハン=アルハンゲリスクを結ぶ目標線に到達する。これが《バルバロッサ作戦》の机上プランであった。

 ドイツ軍は北・中央・南の3軍集団に分けられ、それぞれ元帥レープ、ボック、ルントシュテット司令官をつとめた。ブーク河突破による緒戦は上首尾におわったが、ブレスト=リトフスク要塞戦は凄惨をきわめた。この戦闘は、開戦時のドイツ軍の戦死者の1割を占めている。一方ソ連側はブレスト要塞の陥落を恥辱とみなし、兵士・将校の名前を歴史から抹殺し、要塞戦をなかったことにした。名誉回復がおこなわれたのはスターリン死後である。

 作戦においては装甲師団を率いるグデーリアンが活躍した。

 国境線の敗北により、極東からイェレメンコ将軍が呼ばれる。ティモシェンコ国防相・元帥はイェレメンコを新司令官とする。そもそも、ソ連の優秀な諜報機関により、ドイツが対ソ戦をしかけることはすでに知れ渡っていた。スターリンただ一人がこれを西側諸国の挑発とみて信じなかったため、国境付近で惨憺たる結果を招いたのだ。

 グデーリアン、ホトらの装甲師団は、敵陣深くに突撃し防衛線を乱す戦術によって次々と勝利し、スモレンスクを占領し、モスクワまであと100キロ少しの位置まで接近した。ところが、ヒトラーは目前のモスクワを避け、ウクライナキエフおよび石油ルートの確保、およびフィンランドとの接続、つまり北進、南進を命じる。ソ連の中枢を制圧せずに迂回したことが、ヒトラーの決定的なミスだった。

 中央軍集団および南軍集団は9月にキエフを占領し、モスクワ進撃を開始する。ところが10月に入り雪が降ると、《泥将軍》とよばれる泥とぬかるみが道路や平原をみたし、ドイツ軍は停滞する。彼らはモスクワに近づこうとするがぬかるみと燃料不足、兵士の消耗、弾薬・食糧不足によってソ連軍を打ち破ることができない。モスクワまで後一歩のところで敗退した原因は、気候と、支障をきたしたドイツ軍の輸送車両にある。

 赤軍では作戦の失敗は指揮官個人に帰せられたので、彼らはひたすら攻撃を命じた。ソ連兵は白兵戦を重視し、腰だめの撃ち方、スコップや銃床での格闘術に秀でていた。また、森林での戦闘はロシア人がドイツを圧倒した。モスクワ防衛戦において、ソ連は地雷犬(腹に対戦車地雷をつけた犬)やカチューシャ(ロケット搭載トラック)を投入した。対戦車には「モロトフのカクテル」(火炎ビンの原型)が用いられた。ドイツ軍の戦車、装甲車、砲が雪とぬかるみに苦しんだのに対し、ソ連の大型戦車T34はこうした環境でも動くよう設計されていた。

 この間に、ゲオルギイ・ジューコフレニングラード方面の指揮をとる。ゾルゲの情報により、日本はソ連に侵攻しないことが明らかになった。この情報を得てスターリンは極東の部隊を続々とモスクワ防衛に投入する。なりふりかまわぬ有様で、無意味な虐殺でしかない、モンゴル騎兵連隊による騎兵突撃までおこなわれた。

 11月中盤の時点でドイツ軍は1000キロ以上戦線を延ばし立ち往生していたが、グデーリアンらは冬季の進撃を主張した。ヒトラーに「モスクワを優先的に攻めるべき」と一度諫言した手前、いまさらひっこめるわけにはいかなかったのだ。12月、ドイツ軍の機械は寒波で動かなくなり、兵士は凍傷に苦しみ、兵力の半分以上が動かなくなった。グデーリアンは後退を決断した。

 パウル・カレルは、物資・人員の不足がバルバロッサ作戦失敗の根本原因だったと結論付ける。一方、ソ連軍の緒戦の敗退は、スターリンの判断ミスと赤軍大粛清の結果である。ラッパロ条約によって、ソ連とドイツが互いに軍事的援助をおこなっていたという事実が、両軍の思考から独ソ戦の可能性を消し去ったのである。

 トハチェフスキーは本書ではスターリンに唯一対抗しえる傑出した人物として描かれている。彼は「赤軍のナポレオン」であり、功績・能力も申し分がなかった。クーデターの一歩手前でスターリンの手にかかり、拷問・銃殺されてしまった。

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 中巻

 マンシュタイン、ラインハルトら北軍集団レニングラード(ペテルブルク)を目指し快進撃をつづける。数年前に冬戦争でソ連を退けたフィンランドの協力もあり、ドイツ軍はレニングラードの目前にまで迫る。ところが、またしても転進命令が出される。クラウゼヴィッツによれば、よほどのことがないかぎり当初の作戦計画を変えるべきではない。ロシアの古都を占領するという目標に希望を託した兵たちの士気は雲散霧消した。装甲師団は南に向かい、歩兵たちは犠牲を払ってレニングラードに近づくのをやめてしまった。

 マンシュタインは南軍団の指揮官に任ぜられる。目標はソ連の補給の要であるロストフおよびクリミアである。ロストフはクリミア半島の北にある。しかし、クリミア半島を優先的に制圧することで、ロンメルのアフリカ軍団と合流できるかもしれない。

 セヴァストーポリは無事制圧されるが、同時にロストフ付近の戦線が弱体化し、ソ連の猛攻をうける。

 12月に入り、ドイツの東部戦線は氷漬けになった。無限の生産力をもつかにみえるソ連は、冬季戦闘に卓越した能力を示すシベリア部隊を送り込む。彼らは冬用装備をもち、スキーを履き、引き伸ばされたドイツの戦線に攻撃した。グデーリアンらは後退を決意するが、ドイツ軍には後退行動の教育がなかった。そのため壊走になった。12月中旬、グデーリアンヒトラーは会見にのぞむ。

 ――そこにはいらだち、不安でたまらなくなってはいるが、狂信的な戦いの決意を固めた《総統》と、かつての王様の取りまき軍人のような、去勢されたイエスマンだけの最高司令部が登場する。彼らは軍事廷臣といってもよい。もう一人の役者はヒトラーに面と向かって前線の意見を開陳する一匹狼の勇敢な情熱家グデーリアンだ。

 ヒトラー国防軍幹部は、年内にモスクワ、レニングラードカフカス石油地帯をとれるつもりでいた。越冬のための装備や補給計画は皆無だったのだ。寒波はときに零下50度を超すこともあり、兵は脳髄まで凍らせて死んだ。切断された傷口は自然に凍った。毛皮やぼろ布を着込めばシラミの巣になり、皮膚を食い破った。

 年が明けるとソ連は反攻に転じ、各地でドイツ軍の戦線を襲う。イェレメンコは優れた統制によってドイツ軍をおびやかした。ソ連兵は突撃こそ勇敢だったが、いったん敵を後退させると、食糧などの戦利品漁りに夢中になってしまうので、その間にドイツ軍に反撃されることが多かった。ソ連兵の多くがバターやジャムに囲まれて死んだ。

 中央軍集団第9軍では、病身のシュトラウスにかわってモーデルが新司令官についた。彼はカリスマ性をもっており、着任すると軍はよみがえったように感じられた。ソ連は名望のあるウラーソフ将軍を派遣するが、ドイツ軍の捕虜になる。

 ノルウェー北端の港ムルマンスクは、極地付近でありながら海流の関係で不凍港である。ムルマンスクを通して英米の援助がおこなわれ、レニングラードへ鉄道で輸送される。ヒトラーは《銀ギツネ作戦》と称しムルマンスク、その先のアルハンゲリスクを占領、もしくは輸送鉄道を無力化しようとした。しかし、10月になるとツンドラ地帯は早くも寒波に襲われる。ドイツ軍は雪原と嵐のなかで立ち往生してしまう。

 北部でも、ヒトラーは目標地点に到達できなかったのだ。

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 下巻

 戦線を膠着させながらも、冬季をどうにか乗り切ったドイツ軍は、新たなる命令をうけとる。1942年3月、ヒトラーは《ブラウ作戦》を完成させる。クルスク=ハリコフおよびロストフ近郊から二個軍集団を進みスターリングラードを包囲殲滅する。さらに黒海カスピ海をつなぐカフカス山脈に侵入し油田地帯を占領する。以上が作戦の概要である。

 作戦遂行のためにはセヴァストポリ要塞の陥落が不可欠なので、マンシュタインが派遣された。6月、ソ連の厳重な要塞に対してドイツ軍の砲撃がはじまった。マンシュタインはまず5日間にわたって、ロケット砲をふくむ砲撃、空軍による爆撃をおこなった。要塞は無事陥落するが、《ブラウ作戦》の足がかりであるヴォロネジ進軍の直前、ライヘル少佐の飛行機が墜落したことで計画が漏れてしまう。スターリングラードが目標地点であることが、ソ連軍に知られてしまったのだ。

 七月、ドイツ軍はヴォロネジを占領する。ロストフにおいても市街戦がおこなわれ、占領に成功した。

 ヒトラースターリングラードカフカス、戦力を二つに分散してしまう。一方赤軍は退却しつつドイツ軍の進軍を遅らせる戦術をとり、この間に防備を固める。山岳民族やコサックの援けを得て、カフカスの最高峰エルブルスに登頂するなど、いくつかの成果をおさめるが、補給・援軍不足のため九月には停止する。

 スターリングラードは当初副次的な目標にすぎなかったが、《ブラウ作戦》では主目標に変化している。ソ連軍はこの都市に篭城して徹底抗戦の構えをみせた。スターリングラードに侵入したドイツ軍を前に赤軍は一時パニックになるが、スターリンは優秀な共産党員フルシチョフを政治顧問として派遣し、最後の一人まで抵抗することを命じた。指揮官としてチュイコフが任命された。

 いちどドイツの陣地となったカラーチをソ連が奪回することで、スターリングラード市内のドイツ軍二十万人超は包囲される。ヒトラーゲーリングのことばを信じ、空軍による補給がおこなわれるから包囲を突破せず留まれと命令する。指揮官パウルスはこれに逆らえず、ドイツ軍は壊滅する。

 ヒトラーは前年のモスクワ撤退を教訓として、スターリングラードでは絶対死守を貫いた。しかし、モスクワでの間違いがスターリングラードでも間違いであるとは限らない。死守は万能薬ではない。

 

バルバロッサ作戦〈上〉―独ソ戦史〈上〉 (学研M文庫)

バルバロッサ作戦〈上〉―独ソ戦史〈上〉 (学研M文庫)