うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ケインズ』スキデルスキー

 ケインズの人間としての側面、生涯、『一般理論』などの著作の解説などを一冊にまとめた評論である。

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 故人をしのぶ知人たちの映像が、つぎからつぎへと切り替わっていくように、同時代の経済学者、政治家、多種多様な知識人たちがケインズを評する。

 彼は一八八〇年代に生まれ、進歩史観、楽観主義とともに、当時盛んになった非国教主義的傾向をもっていた。しかし、親が教会関係者であったためか、善なる人生、善をなすことへの強い意志もまた備えていた。第一次大戦によってヨーロッパ文明に疑問の眼が注がれると、ケインズは資本主義、資本主義的個人主義についても深く考えざるをえなくなる。

 戦間期の彼の課題は、イギリスを見舞った大量失業の原因を究明し、それをいかにして解決するかということだった。彼はつぎつぎと革新的な理論研究書を著し、さらに政策実現のため政府や官庁に働きかけ、実際に従事した。終戦後はイギリスの対米借款のために奔走した。かつての大英帝国が、いまや米国にたいして物乞いのような振る舞いを見せている、と自尊心を傷つけられながらも、彼は米国から贈与、融資をとりつけた。平行して、ブレトンウッズ体制の確立にも協力した。一九四六年に心臓発作で死んだ。

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 ケインズは経済学に先行して、確固たる行為哲学をもっていた。大きな影響を受けたのはムーアG.E.Mooreであり、『倫理学原理』から、人間との交流、美を愛する心、知を愛する心の三つこそが人間社会における善である、という結論を導き出した。ケインズが二一年に出版した『蓋然性論』には、無知、不確実性に着目する彼の視点があらわれている。「蓋然性についてのわれわれの知識は限られて」いる。二つの蓋然性の比較も不可能である場合が多いが、こうした場合は、「気紛れに決定するままに任せて、論争に時間を浪費しないようにするのが、合理的というべきであろう」と述べている。

 ――ケインズは、不確実性を経済問題の核心に据えることによって、経済学の中に合理性の範囲と意味についての問題を提起した、最初の経済学者であった。

 彼は政治理論を功利主義と結びつけたバークの思想を評価した。政府は便宜主義的な政策を施行すべきである。バークによれば、政治の目標は「外界の平穏、物質的な豊かさ、および自由」を保障し、社会構成員に倫理的善の追求をうながすことにある。そして、政府の追求すべき幸福・快楽は、見通しの立つ短期的なものであるべきなのだ。彼は「思慮なき保守主義と急進的社会主義の双方を拒否した」。

 彼は正義の問題をミクロ経済からマクロ経済の分野に移した。

 ――不正義は不確実性の問題に姿を変え、正義は契約に際しての予測可能性の問題へと変質していった。所得再分配は……マクロ経済的な安定化機構の一部として、小さな役割を与えられていただけなのである。

 現存秩序の害悪のほとんどは「危険と不確実性と無知」から生じる。解決のためには「中央当局による通貨と信用の慎重な管理」、「経済界の事業活動情報の蒐集およびその広報活動」などが不可欠である。

 彼の考案する手段こそ中央集権的な自由主義とでもよべるものだったが、理想とする社会像、すなわち目的は社会主義的だった。社会主義共産主義そのものには、そこに含まれる倫理と善への情熱を除いては、否定的な態度をとりつづけた。

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 『貨幣改革論』は一九二三年に出版された。これは、戦時インフレーションから生じた問題、戦後の通貨動揺、および巨額の戦時債務などをきっかけに考えられた理論だった。『貨幣改革論』の目標は国内物価の安定である。「物価と信用と雇用の安定こそが最も重要だと考える」とケインズは書く。貨幣価値変動は、階級的な所得分配分を変え、経済活動の短期的変動を生じさせる。物価下落は、貨幣賃金が短期的に固定されているため、雇用の低下を招く。

 『改革論』においてあげられている四つの重要な問題点がある。第一は、金本位制度への攻撃である。解決策は、世界を「管理された」スターリングPound sterling通貨圏とドル通貨圏とに二分することである。

 第二は、物価の安定が貨幣政策だけで達成できるかもしれないということである。『貨幣論』では、『一般理論』に見られる実質利子率の変化、投資の利子弾力性についての考えがまだ欠如していた。

 第三に、ケインズは狭義ではなく広義の貨幣の立場をとった。信用創造を監視し、統御し、通貨の創造をこれに従わせることが、正しい政策である。最後に、ケインズは信用循環の操作には「自由裁量的な管理」が最適であると考えた。

 経済活動における不確実性の重要さは、この著書と次の『一般理論』を経て明確にされていく。

 ――本書の理論上の中心命題は、貯蓄と投資は二組の異なる人々により異なる動機に従って行われ、そして信用貨幣経済においてはこの両者を等しく保ついかなる自動的メカニズムも存在しない、というものである。

 よって、「信用貨幣経済がもっている唯一の均衡化要因は銀行政策である」。ケインズは次のように書く。節約、禁欲だけでは世界は豊かにならない。世界の財産を築き、改善するのは企業活動である。企業活動と節約はひとつ置いて関連しているが、両者は断絶していることもしばしばある。企業活動を動かす原動力は、節約ではなく利潤である。

 『貨幣理論』を手に、ケインズは政策提言を積極的におこなった。

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 一九三六年、『雇用・利子および貨幣の一般理論』が出版される。本書は「貯蓄計画と投資計画との分離、これら両者を均等化させる「体系内の有効な経済過程」の欠如、消費の安定性と投資の流動性、貨幣の価値貯蔵機能」という中心核が、さらに「有効需要の原理」によって統一されている。

 需要が供給を下回れば、産出量は両者の均衡を回復させるところまで減少し、結果、完全雇用以下の低い状態に落ち着く可能性がある。ケインズは短期分析を採用した。資本ストックは一定であり、経済が需要の衝撃に対応できる方法は現存施設の操業度の増減のみである。また、彼は貯蓄と投資とは、所得=消費+投資、貯蓄=所得-消費、よって貯蓄=投資と定義した。貨幣は交換手段のみならず富の貯蓄手段でもある。

 経済の不確実性があまりに大きくなるときには、流動性、すなわち貨幣が、活動からの隠遁の場を提供する。「供給はそれ自らの需要を創り出す」という古典派経済学の主張は否定される。不確実性に起因する「投資誘因」の弱さは恒久的な問題である。

 若手経済学者はケインズに影響され1940年から合衆国で、41年からは英国でケインズ的な財政政策が実施された。ヒックスはケインズの理論を明確化し、IS―LM分析を創造した。

 本書の中心は、「不確実性が投資と利子率におよぼす影響」である。人々の流動性=貨幣への欲求は、企業家経済を不安定にしている。ケインズや同世代の経済学者たちはみな、「貨幣の強情さ、現実経済を撹乱する貨幣の恐るべき力」の究明にとりくんだ。

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 ケインズ経済学の背景は一九三〇年代の大不況だが、もっと長期的な背景は合衆国の不釣合いな債権者的地位だった。一九三一年、金本位制が崩壊し、基軸通貨に基礎を置く貿易ブロックへと世界は分解した。第二次大戦とその後のブレトンウッズ体制の形成によって、イギリスの貨幣的な独立性はおわった。スターリング体制はドルなしには生存できなくなり、イギリスは従属的立場に降格した。

 ケインズは精神と肉体の両方を害しながら、合衆国からの援助取り付けに奔走した。

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 七〇年代、ミルトン・フリードマンらによるマネタリズムがおこると、ケインズ革命は否定されるようになった。ケインズ的政策は、インフレ、不健全な公共財政、国家統制の拡大、協同組合主義の崩壊などの負の結果をもたらしたとして非難されたのである。

 ケインズの遺産とはなにか? 第一に、すべての経済学者がマクロ経済学の枠組を受け入れた。マクロ経済学とは全体としての経済体系の運動に関する研究分野である。第二に、『一般理論』は国民経済計算構築のための進展をもたらした。「最後に、ケインズは資本主義体制に関する信頼を回復した」。

 完全雇用はインフレを招く、とフリードマンは主張し、経済の中心問題は雇用から物価安定へと移行した。しかし、ケインズ的政策のみならず、マネタリズムもまた万能ではなかった。「経済学者は歯医者ほどにも有用でなかったのである」。

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 古典派からケインズケインズからマネタリズム新古典派へ、という経済学の変遷は理解できた。また、ケインズが重視したもの、マネタリズムが重視したものもつかめた。経済学は、その場しのぎの政策・分析の積み重ねであるように感じられる。

 いかに自分が経済学を知らないかよくわかった。肝心な方程式、数式の部分はほとんどわからなかったからだ。

 

ケインズ

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