うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『敦煌』井上靖

 人間の戦争と転変を、雲の上から眺めているような静かな歴史小説である。

 主要な人物は三人、科挙に落ちて西域に流れた趙行徳、西夏漢人部隊の将、朱王礼、亡びた王朝の末裔である尉遅光(うっちこう)である。

 趙行徳は、ウイグル王族の女を犯すとき、西夏文字を学ぶとき、経典の保護と翻訳に携わるとき以外、ほとんど自分の意思をもたぬ男であり、状況に流されるまま戦の最前線に立ち、昇進し、また西域の各都市を転転とする。おそらく、居眠りで科挙に落ちたときに、彼はいちど死んでいるのだろう。だから遊牧民族の戦闘に参加しても死を恐れることがない。生への執着の薄さ、諦念は、仏教に由来するのだろうか。

 朱王礼は英雄であり、死を恐れぬ勇敢な軍人である。彼はただひたすら英雄としての側面だけを表に出し、敵の首をとる、恋敵の首をとる、と勇ましい。最後には討ち死にする。

 尉遅光は滅亡した王朝の末裔であり、そのことに絶大な自信を抱いている。誇りは、確信と行動力を与える。彼は短気で尊大だが、過酷な騎馬民族の対立のなかをしぶとき生き延び、強盗商人としてしのいでいく。

 この三人はそれぞれ魅力をもっているが、語り手は必要以上に人物に肩入れしたり、共感したりしない。また、感動や悲惨をあおることもしない。あくまで遠くから見下ろすだけである。彼ら三人は死に、やがて西夏吐蕃も、宋王朝もほろびる。ただ、行徳たちが千仏洞に隠した経典だけが、現在まで残される。

 人間も、形あるものもすべて亡びる。しかし、稀に残されるものもある。それでも、あらゆるものは過去のなかに消滅する。

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 砂漠の風景や戦闘が映像として描かれているいっぽう、町の様子や装飾、文物で省略されている部分もある。物語の縮尺も自在で、人物たちの会話をくわしく追うこともあれば、章のはじめに数年、数十年が経過することもある。こうした視点と時間速度の操作に違和感がないのは、著者の技術によるものだろう。

 

敦煌 (新潮文庫)

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