うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ナチズム』村瀬興雄

 ――本書はヒトラーナチズムについての概説ではない。ヒトラーの青年期、初期ナチズムと末期ナチズムをとらえて、ヒトラーの本質やナチズムの基礎をさぐろうとしたものである。

 ワイマール共和国下では各王侯国が独自の憲法をもち、プロイセンにつぐ大国バイエルンが果たした役割の大きかったことをまず留意しておく必要がある。ナチズムそのものよりも戦間期の政治団体、軍事要求をかかげる民間団体の変遷により多くページが割かれている。

 ナチズムヒトラーの病的精神から生まれたものでなく、当時のドイツ思想のなかのひとつだったという著者の主張にかなった構成といえよう。

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 ヒトラーユダヤ人遠縁説は、この本曰く、確証がない。彼は比較的中流の家庭に生まれ、遺産も十分にあった。中学校から落第がはじまり、高校でも落第のち退学、造形美術学校を目指すも落第で、ウィーンにむかう。ウィーンで懲役忌避のため浮浪者収容所に逃れるが、彼は終生この事実を隠した。ウィーンの独立者宿泊施設で寝起きし、広告画で生計をたてるかたわら、貧民街にあふれるユダヤ人や、ドイツ人覇権をゆさぶるチェコ人やセルビア人の台頭を目にする。

 大戦がはじまるとドイツに志願兵として応募し、活躍する。毒ガスによる目の負傷で入院している間に、本国の敗戦と革命を知らされる。バイエルンは終戦直後、共産・社会主義勢力と白色勢力のあいだで内戦に近い状態に陥っていた。バイエルンはベルリンとつねに敵対していた。

 

 西ドイツのエリートたちは責任を逃れるために、ナチをヒトラー個人の異常性に帰したが、近年ではナチ・エリート全体の主流政策と見る傾向が強く、また、反ユダヤ主義、反スラブ主義、アーリア至上主義などもドイツ保守思想のなかに連綿とつづく要素である。

 

 学や専門的職業のない、不安定な人間だったヒトラーにとって、軍隊は第二の故郷となった。軍人時代に前後して、精力的に読書するようになるまでは、彼は無学の人間で政治にも無関心だったという。

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 ミュンヘン共産主義者取締りに従事したヒトラーは功績を認められ、一九一九年から軍の政治啓発コースに抜擢され、とくに演説の才を認められる。

 極右ドレクスラーの設立したドイツ労働者党の調査を命じられ、ほどなく加入、この政党をさらに拡大させていき、やがて国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)となる。

 バイエルン国家主義反ユダヤ主義の一大中心地となり、「トゥーレ協会」や「エーアハルト旅団」とその後継「コンスル(執政)団」、ルーデンドルフ率いる「オーバーラント」など多数の右翼団体がひしめいており、バイエルンの政府、軍部、右翼団体が結託していた。NSDAPはこのなかで台頭していき、ヒトラーもドレクスラーと並ぶ党のトップに昇り、突撃隊を組織する。

 このときはしかし、ヒトラーは宣伝家にすぎず、並み居る右翼団体や民間国防団体を指導していたのはエルンスト・レームや、エアハルト旅団のヘルマン・エアハルトだった。エアハルト旅団はエルンスト・ユンガーも所属し機関紙の編集に携わっていたという。

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 経済状況が悪化し、フランス・ベルギーによるルール石炭工場への侵入があいつぐなか、バイエルンはベルリン中央政府にたいしてクーデターをおこなう計画に流されていく。シュトレーゼマン内閣のもと社会不安は増大し、連日暴動や略奪、死傷者があいついだ。崩壊社会のなかで、没落した中流階級や労働者は左右両極に傾いていく。

 このときの政治結社、民間国防団体は以下のようなものである……ミュンヘンに本拠をおく民間軍事、国防団体は二つの大きなグループに分かれる。フォン・カールを名誉会長とする「バイエルン祖国的同盟連合会」およびナチスも所属していた「祖国的闘争同盟共働団」である。

 連合会はバイエルン復古主義的であり、この下にアンドレアス・ホーファー同盟、ドイツ的性格の大学連盟、郷土および国王同盟、全ドイツ連盟、バイエルン秩序ブロック、「バイエルンライヒ」、ドイツ将校同盟、ドイツ将校国民連盟、バイエルン将校および連隊連盟、元軍医によるアイヒハイム軍医連盟、国民意識をもつ兵士連合会、バイエルン戦士同盟、ドイツ陸軍および海軍所属者利益共同体、ドイツ大学戦争参加者全国同盟、ドイツ戦傷者中央連盟、青年バイエルン、ドイツ国民的青年連盟が所属していた。

 共働団の傘下にはオーバーラント同盟、国旗団、低地同盟、ミュンヘン祖国的地区連盟同盟会、レンツ団、ナチス党が属した。

 カールとロッソウはベルリンで独裁政府樹立をもくろむ国防軍司令官フォン・ゼークトに敵対し、ベルリン進撃を計画する。一方ヒトラールーデンドルフも進撃の主導権を握ろうとカール―ロッソウ派と対立する。

 一九二三年十一月のミュンヘン一揆は失敗するが、ヒトラーは裁判によって名声を確立し、三三年にはナチスが政権をとる。

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 初期ナチズムと後期ナチズムを隔てるのは、反ユダヤ主義と東方膨張政策の有無である。この二つは後期になって形成された。

 後期ナチズムについては、ほとんどヒトラーと側近らのことばを引用するだけで済ませている。

 スラブ人の奴隷化計画、ゲルマン民族の植民、交通整備、教育などヒトラーの未来計画は多岐にわたるが、人種論への傾斜や、ためらいのない人間軽視はいま読んでも強烈である。しかし、ヒトラーの食卓での言行を読むとわれわれはそこに狂気を感じるが、植民地主義の時代に列強が黙々と実行したことでもある。

 経済政策と行政分野への言及がほとんどないのは、彼がこの分野に暗かったためと、部下に一任していたためだという。シュペーア、トッドらの軍需担当や、ナチに協力した財界の人間は皆優秀であった。またドイツ官僚もナチ政権に精力的に協力していたため、一時的にではあれドイツの富強が実現できたのだろう、と著者は推測している。

 

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 ナチズムは異常性の発露やドイツ人の悪魔の部分のあらわれなどではなく、ドイツの伝統的思想の一派である。これは著者が本書で繰り返し主張してきた主題である。

 後期ナチズムの第一の特徴は東方膨張政策であり、これを妨げる英仏を打破するために第二次大戦ははじまった。

 東方膨張政策の伝統は林健太郎の本でも言及されていたが、本書はこの東方政策にこそ「非合理性と苛烈さ」の源があるのではないかと考える。

 第一次大戦開戦時の首相ベートマン・ホルヴェークは、東欧への拡大のために戦争が不可欠だとすでに考えていた。またホルヴェーク以降のシュトレーゼマン、ゼークトもみな領土欲求を継承していた。これはフィッシャーの説で賛否両論があるという。

 著者は、膨張政策による広域経済圏の確立を、「暴力と征服に拠ったEU」と形容している。

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 あとがき

 ――古くナポレオン三世いらい、資本主義は、平和な時代には議会制民主主義をとり、危機が深まると執行権力を強化して議会の力をそぎ(権威的独裁制)、さらに危機が深刻化すると議会制を廃止して独裁体制を立てている。すなわち議会制民主主義、権威的独裁、ファシスト(およびボナパルト)独裁は、資本主義社会の下では、ワン・セットとなって交互に交替して現れる傾向がある。

 九〇年になり、ナチ政権下の大衆の研究や、ホロコーストについての研究も進んでいるという。

 

ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜 (中公新書 (154))

ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜 (中公新書 (154))