本の解説や雑誌の短評、全集に織り込まれた評論などをジャンル別に集めたもの。第一部が料理関係の雑誌『あまカラ』などに掲載した食や名産品などにかんする文章、第二部、第三部はおもに英文学について、第四部は日本文学についての文章を扱う。
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吉田健一は日本人のなかではだいぶ読んでいるが、どの文のなかにもかならずユーモアがある。料理やおいしいものについてのエッセイを読んでいて、この人間は生活のいろいろな面から楽しみを抽出するすべを知っているのだなと感心する。常に鬱々として楽しまない人種とは対極にある。
日本における、青筋を立てた「文学とはなにか、どうあるべきか」という風潮を、吉田は批判する。哲学とか、社会性とか、真実とか、これまで日本において主張されてきたような要素はいわゆる文学ではない。シェイクスピアの文章に魅力を感じる、または誰かの詩の一行に魅力を感じる、このことが文学なのである。
別の著作にあったが、一行を美しいと認めることが大事なのである。
吉田の考える文学のなかには、いわゆる社会性や政治性、自然主義やなんとか主義からは排除されるような、美しい文章を書く中島敦のような作家も、十分世界文学のなかに組み入れられるのである。
文学は詩、言葉、文章から始まらなければならない。文学に文学以外のものを求めている限り、シェイクスピアはなにがよいのかわからないし、中島敦や森鴎外、スティヴンソンの魅力もわからないだろうと吉田は言う。
ボードレールは、ロマン主義における、言葉による現実の粉飾とはまったく反対の立場をとる。彼は現実をそのまま見てそのまま言葉に写す。ヴァレリーと東洋的思考の接近についてはヴァレリーを読んだことがないのでわからない。
たびたび言及されるボウエンやモンサラット、『七つの海の狼』、推理小説のエリオット・ポールなどはいずれ読んでみたい。日本人では森鴎外、中島敦、堀田善衛などを評価している。