うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『メソポタミア』ジャン・ボテロ

 本書は広い意味でのアッシリア学であり古代メソポタミアをテーマとするが、具体的な歴史や事件史ではなく、そうした表面的な出来事を脊椎のように貫く、メソポタミアの思考、神話、精神などを探る。

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 1 アッシリア

 ジャン・ボテロ氏はモグラのようにひたすら発掘と解読に勤しむだけでなく、自分の研究分野の存在意義をつねに探している。著者はかつて古典哲学とトマス・アキナスを学んでおり、またアッシリア学とはなにかをつねに自問していた。古代メソポタミアという歴史を研究する、地味で辛抱強い作業には、いったいどういう意味があるのだろうか。

 曰く、自身にたいしては現代や他人にたいする冷静・中立さを与えてくれた。また、西欧文明の礎たる聖書や古代ギリシアメソポタミアから影響を受けていることは明白であり、その研究は一時代の一地域に限定されぬ知識を与えてくれる。

 現代は利益をもとに有用と無用を判別するが、大学における無用な学問をすべて排除した場合、人間はただ計算する機械のようになってしまうだろう。有用なものは利益にたいし奉仕的・従属的である。よって、アッシリア学が経済的に無用であることが、アッシリア学の意義でもある。

 ――……アッシリア学は、西欧中世が最も高貴で壮大な理想とみなした学問の普遍性を構成するさまざまな知識の中核にあって、際立ったそしてかけがえのない地位を占めているのです。

 アッシリア楔形文字を発明したが、この文字には「実在性」があった。ものと文字のあらわすものは同一であり、文字を書くことはその「もの」があるということにほかならなかった。大量に解読された文書の大半は行政文書やメモだが、なかには神話的なものや、アッシリアに特徴的な「演繹的卜占」、詩といった文学も含まれる。

 とくに演繹的卜占は特徴的であり、ボテロ曰く、「彼らなりの合理性と世界観にもとづいて、抽象的な思考や、分析や、推論や、物事の探求や、原則や法則の確立などの事柄を意識していたという事実」はこれまで見過ごされてきていたが、アッシリアでは「科学的方法と精神がこのときすでに発見されていたのである」。

 アッシリアの叡智は古代ギリシアにも受け継がれ、やがて西欧文明の基礎となった。

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 2 文字

 十九世紀中ごろ、ラテン語家庭教師のドイツ人グローテフェントがアッカド語を解読して以来、アッカド語、シュメール語、ヒッタイト語、ウラルトゥ語、フルリ語、ウガリト語の解読が二十世紀初頭にかけてたてつづけに解読された。シュメール人のちアッカド人が覇権を握ったが、アッカド語はおもに口語として、シュメール語はラテン語のごとく典礼の語として用いられた。ヒッタイト語は印欧語のもっとも古い形を残している。

 そもそも文字とはなんなのか。曰く、考えや感情の表れであるメッセージの存在だけでは不十分である。「文字であるためには、すべてのメッセージを伝達し定着させるためのシステムが必要なのである。換言すれば、サインなりシンボルなりが組織的で規則的な集合体を構成していることが必要なのである」。この点がたんなる造形芸術から文字を峻別する。

 シュメール語は絵文字としてはじまり、やがて表音化した。ある絵文字はある単語をあらわすが、これを延々とつづければ絵文字は無限に増えてしまう。そのため、同音異義のことばを同一のサインであらわすことで、文字を表音化することができる。シュメール人の書記は、表音化にあたり、そのつど当て字を用いたが、フェニキアのアルファベットのように完全に表音化することはなかった。つまり、シュメール語は表意文字表音文字、両方の性質を持ちつづけたのである。セム系のアッカド人が入ると、彼らの語彙もシュメール語に併記されるようになる。

 以上のごときシュメール語の発見と発達が彼らの思考様式におよぼした影響は計り知れない。

 文字は実在性をもつ、つまり、文字は文字があらわすものそのものと考えられたので、シュメールの神話は天地創造旧約聖書の起源ではないかとされる)は天と地に「名をあたえた」と表現されている。ある言葉とある言葉が似ているということは、お互いが本質的な連関を示す。この特徴はシュメール特有の演繹的卜占にもあらわれている。

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 3 理性

 演繹的卜占とは、神の意志による霊感的卜占に対して、人間理性をもとにおこなわれる卜占を指す。世界は神か創造者の運行のもとにあり、われわれ人間は微々たる働きしか加えることができない。演繹的卜占は、経験と観察をもとに、ある出来事からある出来事への連関を発見する作業である。通常「もし~ならば、……である」のかたちで羅列され、もし~の部分を前提節、……であるの部分を帰結節と定める。

 ――もしある人が眠っている間に、町全体が自分の上に落ちてくる夢を見て、叫び声をあげたが、誰もその声を聞かなかったなら、この人は幸運を身につけることになろう。もし死者の肉を食べる夢を見たならば、第三者が彼の持ち物をすべて持ち去るであろう。もし、羊の胆汁胞が胆管から分離していたならば、王の軍隊は、遠征の最中に、のどの渇きに苦しむことだろう。もし北風が吹いて雲を一掃し月が姿を見せたならば、収穫は上々となろう。

 延々と連なった卜占の説明書は、古代ギリシアに通じるシュメールの科学的方法をあらわしている。卜占による凶兆を避けるために祓魔の方法が考案された。蝕による王の危機の際には身代わり王がたてられた。

 ハンムラビ法典は、通常考えられているような「法典」ではない。ハンムラビ法典の特性は内容、首尾一貫しない論理、そして無効力性である。ハンムラビ法典は彼が自分の功績と公正さを示す記念碑としてつくったものである。つまり、「裁判を実践するための科学についての著作」である。判例と司法はあったが、メソポタミアにはわれわれが考えるような法は存在しなかった。不文律、慣習と「王の決定」が法の役割を担った。

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 4 宗教

 シュメールの宗教は一神教のような「歴史的」宗教でなく原始的宗教なので聖典は存在しない。神は多数おり、神人同型である。不幸の原因は「魔物たち」のなせるわざとされる。シュメール宗教全体を通して、専制君主制に類似した体系を見て取れる。

 ――彼らは王に主導されると同様、神々に主導されていると感じていた。彼らはこうした隷従状態に順応していたのである……それは人間がいかにしても最終的な運命から逃れることはできないと認識していた遠い昔の時代、「権力に対する異議」をまだ人類が発見していなかった、遥か遠くの時代のことだったのである。

 メソポタミアの神の体系の一貫性を示すため、エンキ(シュメール語)またはエア(アッカド語)とよばれる神について説明する。エンキ/エアはもともとエリドゥなる都市の神である。「ある町が他の町より優位に立ち、より広範囲な王国の中心となる現象が次々と起こって、政治に変化が生ずると、それが神の特質にも反映してその修正作業がおこなわれ、神々は出身の町の運命と明暗をともにすることになった」。

 エンキ・エアは南メソポタミアにおける労働と物資交換の管理を担当した。さらに彼は細かい仕事を部下の下請け神に投げた。沼沢地帯管理のナンナや、海管理のナンシェや、雨の領域のイシュクル、農作業のエンキムドゥ、建築担当のムシュダンマ、などである。

 あらゆる領域に担当神がついているが、ただひとつ欠けているのが戦争である。戦争をつかさどる神格は、この国では遅れてやってきたことを神話記述者は強調したかったのだといボテロは考える。

 

 ――しもべよ、わが命令を聞け! ――はい、ここに、ご主人様、はい、ここに! ――わたしは金を投資したい! ――投資なさいませ、ご主人様! 金を投資する者は、資本をまもり、そのうえ利子を増やすのです!

 

 という対話の繰り返しによってつくられた文学が存在するが、解釈の仕方によって悲観的対話とも、風刺ともとれる。

 

メソポタミア―文学・理性・神々 (りぶらりあ選書)

メソポタミア―文学・理性・神々 (りぶらりあ選書)