うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『イスラーム生誕』井筒俊彦

 ムハンマド

 異常な情熱をもとにイスラーム布教にはげみ世界史の流れを変えたムハンマドに対して、著者は並々ならぬ共感と憧れを抱いている。文章も感情がこもっており、歴史物語を展開する弁士のようである。

 イスラーム以前の無道時代は、部族を中心とした抗争が、砂漠のなかで延々と繰り返された時代だった。彼らは徹底的に現実的であり、血なまぐさい戦闘のあいまに酒、女の刹那的快楽に溺れるだけが生きがいだった。現実主義と刹那主義にいろどられた彼らの世界観に、ムハンマドははじめ警告者としてあらわれる。彼はまず、いずれ到来するだろう黙示録の日、審判の日を、視覚・聴覚に訴えることで自身の信仰を広めようとする。過酷な砂漠地帯で生き残るために、ベドウィンたちは感覚の中でも視覚・聴覚を発達させてきた。ムハンマドはセム民族的な黙示録を伝えるために、目に浮かぶような審判の日の光景を述べた。

 偶像崇拝を否定してメッカのクライシュ族らに追放され、メディナに聖遷してからは、コーランの章句は散文的・現世的になる。黙示録的なメッカ時代のそれに対し、メディナでのムハンマドの預言は細かい生活のことや、来世の幸福等に割かれている。メディナではもともと多神教が衰退しており、またユダヤ教の普及していた地だったので、ムハンマドの教えが広まるのも早かった。

 長期間にわたる部族との戦闘に勝利し、メッカに凱旋してからは、一転してユダヤ教徒キリスト教徒が敵になる。他の一神教に反して、メッカのカーバ神殿を礼拝の方角に定めたとき、ムハンマドは既存の宗教と決別し、新たな世界宗教を確立したのである。

 

 イスラームとは何か
 自分をすべて委譲する、ゆだねるという意味のイスラームに対し、ジャヒーリーヤ(無道)時代が対比されるが、本来この二つは歴史的区分ではなくて、個人の心のなかの区別である。無道の精神からイスラームへの以降が、ムスリムとなることを意味する。

 ムハンマドの教えによれば、主と人間との関係は、主人と奴隷との関係と同じである。自己を放棄しゆだねるイスラームに対し、ジャヒーリーヤは不羈独立を重んじる。イスラームからすれば無道の教えは驕慢で、思い上がりである。イスラームの信仰は「タクワー(怖れ)」に近いものである。

 

 信仰するとは同時に感謝することでもある。よって、不信心や無信仰は「忘恩」と表現される。

 

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 ユダヤ教キリスト教との比較でたびたび出てくる「セム的宗教」のセムとはそもそもどのような性質をもっているのだろうか、なぜセム族は三つの宗教のごとき絶対的一神教を生み出したのだろうか。

 

イスラーム生誕 (中公文庫BIBLIO)

イスラーム生誕 (中公文庫BIBLIO)