マルコ・ポーロはフビライ=ハンにさまざまな都市の見聞をきかせる。2人の会話は禅問答じみており、ことばで遊んでいる印象をうける。マルコ・ポーロの都市も、なぜか重機やバスターミナルがあり、抽象的な図像でしかあらわれず、非現実的な風景が広がっている。かれの話す都市はすべてぼんやりしたことばでおおわれている。
翻訳はところどころ古い言葉や熟語が使われているが、気取ったところ、堅苦しいところがないとおもった。数百年前の人物がしゃべっているというとりきめなので、実生活の会話やことばづかいとは異なる調子であっても問題ない。かれらの会話のなかに異常なものや未来のものが含まれているために、奇妙な風景が生まれる。
――恐らく、われら二人のこの会話は、フビライ汗、マルコ・ポーロと綽名される乞食二人のあいだで交わされておるのだ、ごみ山のなかを漁り、錆びついた金物や、ぼろぎれや、紙屑などを拾い集めているのだが、安酒の少しばかりに悪酔いをして、おのれらがまわりに東方のありとあらゆる宝物が光り輝いているのを見ているのだ……
――恐らく、この世界で残されているのは一面ごみ捨て場に覆われた一片の空地と、偉大なる汗の王宮の空中庭園だけでございます。この二つの場所を距てているのはわれらの瞼でございますが、そのいずれが内にあり、いずれが外にあるかは、だれにもわかりません。
――形のリストは無限に続く。あらゆる形がそれぞれに自分の都市を見出すことができない限りは、新しい都市が生まれ続けることだろう。形がそのあらゆる変化を試みつくして消滅し始めるところで、都市の終末が始まる。地図帖(アトラス)の最後の数ページでは、初めも終わりもない網の目が、ロサンジェルスの形をした都市が、京都=大阪の形をした都市が、形もなく溶けだしていた。
都市はすべてことばによって組み立てられており、異常なすがたをしている。よって、物理的対象をことばで説明しているのではなく、マルコ・ポーロのことばが都市を生み出しているように感じる。
――ペンテシレアではまた違うのでございます。もう何時間ともなく歩き続けておりますのに、都市のなかにいるのかまだ市の外なのか、いっこうにはっきりいたしません。
――大空から禿鷹を一掃したとき、地にはびこる蛇の恐怖に直面しなければなりませんでした。蛙を絶滅すれば蠅が増えるにまかせてすべてを真っ黒に覆いつくしてしまいました。白蟻にたいする勝利は都市を舟喰虫の支配下に引き渡す結果となりました。
――ああ、偉大なるフビライ汗さま、陛下の帝国の地図のなかには、灰色の大いなる都フェドーラも、またガラス球のなかの無数の小フェドーラも、ともどもにその場所を得ておらねばなりません。いずれも等しく現実であるというのではございません。いずれも等しく単なる虚構にすぎないからでございます。一方は必然として受け容れられておりながらその実はまだ必然とはなっていないものをその内部に閉じ込めており、他方は可能なもののように想像されながらその一分後にはもはや可能ではなくなっているものを包含いたしておるのでございます。
――それでも今は私にもわかっておるのでございます、これもまたあの日の朝ドロテーアで私にむかって開かれていたたくさんの道の一つにすぎないのだと。
――ベルサベアにはこのような信仰が言い伝えられております。空中を漂うもう一つのベルサベアが存在し、そこに都市の最高の徳と感情が浮遊している、またもし地上のベルサベアがこの天上の都市を手本とするならば、二つの都市はただ一つのものとなるであろう、と。伝説が伝えひろめておりますその様子は、全体が巨大な金塊で、留釘には銀、扉にはダイヤモンドを用いた都市、一面に象()と()を施した宝石細工さながらの都というものでございまして、これをつくりだすことができるのは、最高の材料に加えるに最大の刻苦勉励による技でございます。
この翻訳者のちからを思い知ったので、ほかの訳本も読むことにした。
- 作者: イタロカルヴィーノ,Italo Calvino,米川良夫
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/07
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