――ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が
はるかの高みからそれを聞こうぞ?
冒頭のなげきからはじまり、抽象的なところから、風景まで、場面がうつりかわる。世界空間と、自分たちにたいするなげきがつづく。ことばには古い語句もあるが、読みにくいわけではない。
この世はなげきに満ちているという印象をうける。
――……永劫の流れは 生と死の両界をつらぬいて、あらゆる世代を拉し、それらすべてをその轟音のうちに呑みこむのだ。
「悩み」や「嘆き」は具体的なものにたとえられ、この現実的なものについて説明する。
――(「悩みの都市」について)そこでは競いあう叫喚からできたいつわりの静寂のなかに、空虚という鋳型でつくった鋳物、つまり金メッキの喧騒、破裂音の銅像が傲然と立っている。
われわれは「すべてのうち最も移ろいやすい存在である」。
――だから、われわれが地上に存在するのは、言うためなのだ。家、橋、泉、門、壺、果樹、窓――と。
――あらゆる存在は一度だけだ、ただ一度だけ。一度、それきり。そしてわれわれもまた一度だけだ。くりかえすことはできない。しかし、たとい一度だけでも、このように一度存在したということ、地上の存在であったということ、これは破棄しようのないことであるらしい。
ひとの些末さや、世の流転をなげいているが、この詩のなかには、まだ希望が残っている。
――かれらは受け継ぐべき過去もなく、まぢかい未来をつくり出すこともできない。まぢかなものさえこの人たちには遠いのだ、だがわれわれは、こういう縺れにまきこまれまい、いやこれを契機に、こんにちもなおかろうじて認めえた形姿を われらの内部に維持することに努めよう。
物理的対象からそうでないものに主語がうつり、また話題も流動していくので、茫漠とした図像がおもいうかぶ。
――見よ、そこにいるのは寄る年波にたるんだ力技者
いまはただ太鼓たたきが役、
皮フの大きな袋がそのまましぼみ、壮んなころには
その中に二人住んだが、そのうち一人は
いまはもうあの世へ旅立ち……
非現実的な風景も出現する。
この詩は何回か読めばもっと感想が出てくる気がするので捨てないでとっておく。