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The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『The European Miracle』E.L.Jones

 超長期的な視野から、なぜヨーロッパがほかの地域に比べて発展を遂げたのかを考える本。著者がゲルナーの文を引用しているように、人類全体を眺めてみると、ヨーロッパ以外の地域の経済的変動が通常であって、ヨーロッパの発展速度が異常なのである。この特異な経済的・産業的発展を著者は「ヨーロッパの奇跡」と呼んでいる。

 人間社会の発展は、地理的環境、気候風土にまず影響される。続いて、そこで生じる統治形態によって大きく影響される。最終的に、経済発展への動機に影響する。この点でヨーロッパは、他の地域や大陸に比べて恵まれていた。

 ヨーロッパはたとえば中国やインド亜大陸に比べて自然災害が少なかった。また、土地も、デルタ地帯のように豊かではなく、収穫量も低かったが、その分農耕技術が発達した。ヨーロッパは地理的条件によってユーラシアのほかの地域と隔てられていたので、たとえば中央アジア遊牧民によって侵略され、社会システムを破壊される危険にさらされることがなかった。生産量の低さを補うため、ヨーロッパでは早くから晩婚化が進み、産児制限も自主的におこなわれた。

 ヨーロッパにおける国民国家とは、技術発展と、市場の拡大、そして国家拡大の野心から生まれた安全保障システムである。国民国家が行政をつかさどることで、疫病や飢饉、洪水などの災害対策が可能になり、また小国家が互いに勢力を均衡させることで戦争のリスクも減った。結果的にヨーロッパでは、他の地域では不可能なレベルで、住民の安全を保障することができるようになった。政治的安定によって自らの生命や所有権が保障されることで、市場が拡大し、規模の経済が可能になった。また、生産的な活動や、技術革新、資本の蓄積への動機が生じた。

 一方、なぜほかの地域ではヨーロッパのような発展がなかったかを、著者は本の半分以上を割いて説明している。

 アフリカについては、北アフリカは湿潤のため常に疫病の危機にさらされていた。南アフリカは乾燥していたが、土地が貧しいため、人間の経済活動は狩猟の域で止まっていた。南半分のアフリカにおいては、ヒトはいまだに食物連鎖の中に組み込まれていた。また、土地が険しいため交通が発達せず、市場は村や町単位で完結していた。

 イスラーム圏については、イスラームアラビア語という共通文化のもとに、発展を遂げた。しかし、スルタン制に代表されるように、政治形態が不安定であり、住民は専制君主の恣意的な搾取や迫害にさらされていた。このため、所有権が安定せず、自律的な経済発展がおこらなかった。オスマン帝国は当初、各地方の統治を各民族に任せる、柔軟な政策をとっていた。しかし人口は増えず、徐々に重税が課されるようになり、移民する者が後を絶たなかった。貿易は国家主導でおこなわれた。オスマン帝国において唯一経済発展と人口増加を達成したのが、ギリシアである。ここでは役人の目を盗んでギリシア人、マケドニア人たちがヨーロッパの産業を輸入し、貿易をおこなっていた。

 インドは、「普通の人間にとっては地獄のような」土地だったという。村という生活単位と、カーストのような社会制度が強固に残り、統治者や国家が変わっても、末端の社会には変化がなかった。カーストによって人びとの活動は硬直し、経済発展のきっかけが生まれなかった。ムガル帝国とその下の太守は恣意的な支配をつづけたため、社会はいつまでも安定しなかった。インドは地域間の隔たりが激しく、亜大陸全体を支配できたのはアショカ王と、ムガル帝国と、大英帝国だけである。また、ヒンドゥー教の教義も、疫病対策に反するものであり、近代にいたるまでパンデミックが頻繁におこった。

 アメリカ大陸、とくに中南米はユーラシアという広い場所から隔離されていたため、技術発展がほとんどおこらなかった。

 中国は宋の時代に技術的・経済的発展を遂げたが、その後、明や清帝国の時代に入ると停滞した。ヨーロッパは植民地をつくることで1人あたりの耕作可能面積を増加させたが、中国においては、大陸のなかにフロンティアがあった。中国大陸のほとんどは森と荒地であり、長い歴史を通じて伐採と耕作が続けられた。それでも人口増加を補う生産をあげることができなかった。

 スルタン制やインドの専制君主と同じく、中国においても住民の安全は保障されなかったが、清の時代、満州人は漢民族のことを「肉と魚」と呼びならわしていた。彼らにとって民は「人間収穫備蓄」にすぎなかった。

 中国が、あのような広い土地に何度も統一王朝を立てられたことについては、次のように推測している。中国においては皇帝は統一王朝というイデオロギーと正統性を供給することが役割であり、地方の支配は実質的には役人や郷紳が担っていた。たとえば満州人は優れた軍事制度を持っていたため、反乱や暴動はすみやかに鎮圧することができた。役人や郷紳、もしくは東南アジアの諸国家は朝貢することによって安定を得た。しかし、海禁政策等のために貿易や交流は活発にならず、技術的には停滞した。また、人口増加を抑えることができず、実質的な所得は下がっていった。

 日本は、ヨーロッパのような産業発展を見せた特異な例であり、近代国家への移行をスムーズに行えたのもそのためだと著者は考えている。

 さまざまな地域との比較を通して、産業発展には地理的環境と、政治形態による安全保障が不可欠であると著者は結論する。国民の生命と所有権を保障し、法に基づいた運営がおこなわれる福祉国家へと徐々に変化していき、国家運営に携わる人間の数が増え、結果的に現在のような民主主義が生まれたのではないかと著者は考える。

 福祉国家は、産業発展のための十分条件ではない。それは、旧植民地の国家を見てみてもわかる。しかし、産業発展するための必要条件ではあるだろう。超長期的な変化というものは、無数の属性値によって動いているため、巨大なカギに似ている。これを精確に解明するのはむずかしい。

 わたしは著者の考えにおおむね賛成である。しかし、今後ヨーロッパとアメリカが没落して別の地域が繁栄した場合、なぜその時点で繁栄したのか、ふたたび長期的な視野から原因を探していく必要がある。イスラーム帝国が共通文化のもとさかんに交通して発展していたとき、ヨーロッパは野蛮な部族の住む土地でしかなかった。今、ヨーロッパの後塵を拝している地域も、いずれ細かく分析されるときがくるかもしれない。

 比較政治学の本を以前読んでいたが、この本を読むと政治体制が経済活動に大きな影響を及ぼしていることがわかる。統治の役割について考えることは、経済を考える上で役に立つと思われる。

 巨大なスケールの話をしているが、根拠は小さな数字である。たとえば人口密度とか、平均結婚年齢とか、政治史の資料等。そのように細かいところから裏をとって説明していくので、適当な天下国家論になってはいない。

 亜大陸やモンゴルの暴君たちの挿話を引用して、ヘロドトス以来人間の歴史は残虐の歴史だ、とコメントしているが、確かにその通りと感じる。ヨーロッパは残虐の歴史のなかでは特異な安全地帯だったという印象を受けた。

 

The European Miracle: Environments, Economies and Geopolitics in the History of Europe and Asia

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