うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『絶望者』レオン・ブロワ

 パリに住む作家マルシュノワールは、カトリック信者であり、現代の醜い文明や人びとを呪っていた。かれは原稿を書くがその攻撃性のため採用されず、貧乏に苦しむ。グラン・シャルトル修道院に入ったが、ふたたびパリに戻り、呪いの原稿を書いた。かれにつきしたがう元売春婦の女は、性欲から解放されるために歯をすべて抜いてしまう。さらに、発狂して病院に連行された。マルシュノワールは病気にかかり苦しんで死ぬが、そのとき司祭はかけつけてくれなかった。
 作者とその周りの人物をモデルにしており、いたるところで悪口が散見される。文体は、ごてごてと飾り立てるタイプであり、意味が分かりづらい。ひたすら陰うつな文章と話が続いた。
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 ――最悪の禽獣どもが休息に飽きて、洞穴から這いだし、パリ全市の道路いっぱいにあふれる時刻であった。何百万の脚をもって金や女を追いまわす貧乏な畜生どもが、この途方もない町であたり近所に吼えたてた。……こうしたパリの蛆虫どもが臭い匂いをまきちらしながらうごめき、歩道や車道の下劣な取引のひどいどなりあいのなかでざわめいた。
 ――悪は、現在では、かつて見なかったほど世界的で、遥かに大きく思われる。なぜなら、今ほど文明が地に低く垂れ、魂が堕落し、主人たちの腕がひよわになったことがないからだ。悪はさらに大きくなるだろう。敗北者の共和制はまだ呪いの腹子を全部生み落していないのだから。
 ――実際、反宗教的なやくざ者のあらゆる脅迫がついに汚い大雨の雲のようにわれわれの頭上で裂けるとき、取り返しのつかぬほど分解した自称キリスト教社会は悪臭ふんぷんたる漂流物の集団のように、地球を飲み込みそうな燐化した大河のうえを流れていくだろう。そうなったら、現代人の心の不毛な堆肥の上にどっかりとあぐらをかいて、専制君主として支配する、すでにできあがった、支離滅裂な理性の怪物に対して、キリスト教社会は果たしてどうなるのだろうか。
 レオン・ブロワは熱心なカトリックだが、この人物はキリスト教の立場から近代文明を徹底的に非難する。怨念がこもっているため、これが宗教の本来の攻撃性なのではないかと感じる。
 ――三百年前のある日、人びとは血みどろの十字架の影があまりにも長いあいだ地球をおおいすぎていたと気がついた。おこがましくも文芸復興(ルネサンス)という名をつけられた淫乱の露店が店開きをした。ドイツや北イタリアの曲学阿世どもがもう苦しむ必要はないと宣伝したからである。千年にわたる中性の恍惚たる忍従は淫婦ガラテアの尻に圧倒された。
 ――……キリスト教は生き延びるために愛想よくし、お世辞をつかい、生ぬるくなった。……そして、異教徒の偶像崇拝に改宗し、「貧者」を踏みにじる者どもの恭しい奴隷となり、陰茎崇拝者のにこやかな侍僧となるという、思いもかけぬ楽しい光景を現出した。
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 ブロワは、ニヒリズムに対しては、宗教へ立ち戻るべきであると主張する。
 ――かれら、さかしまの希望者、人間の虚無の穿孔者は、どんな未来について語るのだろう。彼らはカトリック教によって告示された<最後の週末>にあきたらず、物質のなかへの考える魂の愚かしい遁走という、赦すべからざる正義の拒否に対して、狂わしいばかりに抗議する。では、どうしたらいいのだ?
 「死が吉報であることを説け。……死を吉報として、近き贖罪の予告として説け」というヘルゼンのことばは、「どんな宗教的重機でも動かせず、しかも人を惹きつけずにおかぬ教理の絶対である」。
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 呪いのことばと糞尿で固められた文章には力がある。
 ――『糞便の反乱』、と雷火の投擲手がゆっくり読みはじめた。
 「表題だけで分かる。マルシュノワールさんは少しも変わっていない。相変わらず糞便的雄弁にご執心なのだ」
 ――それからマルシュノワールはおめず臆せず、中断もせずに、三百行の原稿を読み続けた。かれはローマのラッパのような声をもっていた。その声は途方もなく演説口調で、怒号するために計算されたように見える文体とかなり似通っていた。かれはすべての予言者のように読み方がよくなかった。鎖を解かれたこの予言者は大波が立ち騒ぐように、啼泣と哀悼と怒号に満ちていた。謝肉祭最後の火曜日の四頭立ての戦車と雷の砂利車とを一同の頭上に走らせた。愚弄的な詠嘆と荘重な悪罵を繰り出した。彼はそれを使うのをしばしば非難されてきた下品な言葉や、まるでひとりで群衆をなすかのように叫びたてる方法を心得ていた。その言葉は全人民の絶望的な呪詛と同じように崇高になった。
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 確かセリーヌもこんな話だったという記憶がある。ただし、こちらはセリーヌとは違って狂信的なキリスト教徒である。