うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『桜の森の満開の下・白痴』坂口安吾

 中学生の頃に読んで、さらに最近読んだ。

 

 どうでもい短編や掌編が混ざっているので読み飛ばした。
 著者の話には、たびたび女の肉体、恋、肉体のない恋といった言葉が登場するが、これら一連のテーマはわたしにはどうでもよいものである。本と相性が合わないのか、時代が変わったのかわからないが、肉体の魅力が云々、といわれても何1つ感心しない。自分の感性がないならないで構わないが、とにかくこうした段落は読み飛ばした。
 よって、坂口安吾の書いていることの8割は理解できないことになるが、仕方ないのであきらめる。
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 「白痴」は白痴の女とともに空襲のなか逃げ回る話。頭の空っぽな女を連れて回ることに何やら深遠な意味があるようだが、飛ばし読みしたためそこまでは観察できなかった。
 戦争中の職場の雰囲気や、身の回りの軽薄さに対する怒りが唐突に挿入される。たまっているものを吐き出すような勢いが感じられた。
 ――新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。彼らの心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗り遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。彼らの日常の会話の中には会社員だの官吏だの学校の教師に比べて自我だの人間だの個性だの独創だのという言葉が氾濫しすぎているのであったが、それは言葉の上だけの存在であり、有金をたたいて女を口説いて二日酔いの苦痛が人間の悩みだというような馬鹿馬鹿しいものなのだった。
 ――要するに如何なる時代にもこの連中には内容がなく空虚な自我があるだけだ。
 ――事実時代というものはただそれだけの浅薄愚劣なものでもあり、日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が果たして人間の真実に何の関係があったであろうか。最も内省の希薄な意志と衆愚の盲動だけによって一国の運命が動いている。
 ――……それによって各自の凡庸さを擁護し、芸術の個性と天才による争覇を罪悪視し組合違反と心得て、相互扶助の精神による才能の貧困の救済組織を完備していた。
 ――伊沢の会社では「ラバウルをおとすな」とか「飛行機をラバウルへ!」とか企画をたててコンテを作っているうちに敵はもうラバウルを通りこしてサイパンに上陸していた。……そして蒼ざめた紙の如く退屈無限の映画がつくられ、明日の東京は廃墟になろうとしていた。
 人間の真実や苦悩といったものは、来月も200円の給料をもらえるかどうかという問題に具体化されていた。
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 桜の森の満開の下
 夜長姫と耳男
 鬼が乗り移ったかのような美人に翻弄される男の話。山賊は、辻強盗の際に捕まえた美人の指示に従い都の人びとの首を切る。美人は生首をおもちゃにして遊ぶ。
 夜長姫は耳男に仏像をつくらせる。一方、姫は蛇の生血を飲み、骨を高楼に吊るし、村の人々が疫病で絶滅するようまじないをかける。
 どちらの話でも、男は女が人間ではないと感じ、とっさに殺してしまう。
 ――好きなものは呪うか殺すか争うかしなければならないのよ。
 大変不気味でおもしろい話である。よけいな説明や冗長な箇所がない点もよい。
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 現代を舞台にした話においては、どうしようもない人間、軽佻浮薄で浅薄な人間、卑しい人間が次から次へと登場する。そうした人物しか出てこないのは、人間がそういうものだからだろうか。

 

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)