うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『赤軍 神軍 緑軍』山内昌之

 ロシアにおけるイスラムの歴史とその関わりについて論じる。


 序
 ロシアは15世紀から中央アジアイスラム部族たちを支配してきた。少ない例外を除き、ムスリムたちはロシア帝国の中で公民としての地位を与えられず、官職に就くこともなかった。それでも、クトゥーゾフ等、ロシア史において重要な軍人の中に、中央アジア人の血を引く者が散見される。
 ロシア革命初期、ボリシェヴィキムスリム社会主義者、ムスリム民族主義者と共同し、白軍との戦争に対抗した。ところが、内戦終結後にムスリムたちがナショナリズム運動やイスラーム運動を起こしたため、ロシア共産党はこれを弾圧した。中央アジアの民族にはムスリム中央アジア人といった超国家的な連帯が存在し、ソヴィエト・ロシアを脅かした。
 ブレジネフの治世から、ムスリムと融和し、アラブ諸国を味方につけるための政策が始まった。しかし、1979年に始まったアフガニスタン侵攻により協調政策は失敗した。
 ロシア帝国時代から、中央アジアは抵抗を続けてきた。ロシアにおけるムスリムは、ソ連崩壊後も重要な要素であり続けている。

 

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 1 「オリエント」の中のロシア革命
 中央アジアムスリムから見たロシア革命について。
 ムスリム諸国や諸民族は、帝国主義からの解放を目指し共産主義社会主義に接近した。ソ連は、内戦を乗り切るため、また、中央アジアに進出していたイギリスを排除するため、ムスリム諸民族と協力した。
 この間、ムスリム共産主義ムスリム赤軍といった独自の運動が栄えた。やがて、ソ連ムスリム及び部族のナショナリズムを排除し、ロシア人による支配を確立させた。
 ロシア革命はイランやトルコの革命運動にも影響を与えている。

 

 2 アナトリアボリシェヴィキ
 トルコは第1次大戦敗戦後、権力を握っていた軍将校団が没落し、国軍が実質消滅した。同時に敗戦国を占領するために、かつての従属国だったギリシアが侵略を始めた。これに対抗するため、匪賊や旧国軍勢力が国民軍を編成した。
 ソヴィエト・ロシアはトルコの社会主義運動にも干渉したが、ムスタファ・ケマルは左翼運動をうまく合法化し、抵抗勢力の増大化を抑制した。
 緑軍とは、1920年アンカラでつくられた秘密結社である。イスタンブールのスルタン政府に対抗するためにケマル公認でつくられた。結社はイスラーム社会主義を掲げ、ソ連との融和を図るものだった。

 

 3 スルタンガリエフ異聞
 スルタンガリエフタタール人の共産主義者で、ロシア革命勃発とともに活動を開始した。かれはムスリム諸部族の自律性を唱え、ムスリム及び中央アジア民族がソ連の中で確固たる地位を確立させることを目指した。しかし中央集権化を進めるソヴィエト・ロシアにおいて異端視され追放、処刑された。
 国籍及び民族問題を担当していたのがスターリンである。

 

 4 スーフィーとコミサール
 スーフィー教団の流れをくむヴァイソフ神軍等の運動がロシア革命前夜に起こった。ワッハーブ派や、インドのムジャヒディン等、原始イスラム教に回帰する運動が生じたのも19世紀末である(イスラーム復興運動)。
 ロシア帝国タタール人に対し正教化政策を進めたため、各種の抵抗が生まれた。
 ヴァイソフ神軍すなわちヴァイシー運動の目的は「ロシア国家とツァーリズム体制の否認を前提にイスラームシャリーアに基づく政教一致の共同体を打ち立てること」にあった。
 スーフィー運動はチェチェン・イングーシ共和国、ダゲスタン共和国において特に盛んである。帝政ロシアに対する抵抗からこの地にイスラームが根付き、ロシア革命の際にはやがて赤軍との戦争に発展した。タリーカと呼ばれるスーフィズム集団は1930年代まで、GPU長官の暗殺等、激しい抵抗を続けた。
 その後も、ソ連式の教育制度やロシア人の押しつける規制に抵抗しており、チェチェン人、イングーシ人のほとんどが何らかのスーフィー集団に属している。
 スーフィーを形成する教団をタリーカという。バタル・ハジ教団やヴィス・ハジ教団は秘密結社的な性格を持ち、ソ連社会から隔絶した共同体内で生活している。
 スーフィーはズィクルと呼ばれる舞踏の一種に興じるが、これが風紀を乱すとして旧ソ連では禁止されていたが、慣習は消えなかった。
 カフカスに根付いたタリーカはソ連崩壊後も抵抗運動の核心となり、チェチェン紛争等に発展した。