うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『全記録炭鉱』鎌田慧

 炭鉱夫の生活、炭鉱業界の経緯をたどる本。

 ――炭鉱夫が生き抜くのは、ひとえに運と勘である。
 1989年夕張新鉱においてガスの突出と火災が発生し93名が死亡した。火災が発生した時点で50名の安否未確認者が坑内に残っていたが石炭を保護するために注水し死亡した。
 炭鉱業は危険な業種であり明治の初めから戦後にいたるまで絶えず事故が起こり、そのたびに数百人単位の死者を出した。
 石炭業は国のエネルギー政策と結びついており安全管理を軽視してでも産出能率を上げることが国によって強制された。
 また労働の下請けには暴力団が深くかかわっており、組長が炭鉱夫の社宅を放火し複数名を殺害、保険金を手に入れるという事件も起きた。
 炭鉱夫は常に危険にさらされているが閉山すると仕事がなくなるという状態にあった。
 戦前は、本職の炭鉱夫だけでなく、朝鮮人や中国人、白人俘虜、囚人等も炭鉱労働に狩り出された。
 三井、三菱といった財閥は新政府の政商として鉱山を経営し、労働者を使役した。


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 石油へのエネルギー転換、海外石炭の増大により炭鉱の業績は悪化し、また続発する事故の補償等もあり、炭鉱は日本から姿を消した。現存するのは釧路コールマインのみである。


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 三井鉱山は大量の事故を起こし、また二酸化炭素中毒患者を生み出した。遺族や患者は裁判により補償を得ようとした。
 安全軽視の思想は見直されず、戦前、戦後を通じて大規模事故が絶えなかった。
 労働組合と三井の闘争について。


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 筑豊出身の絵師山本作兵衛は、炭鉱夫たちの生活や様子を絵巻にした。


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 炭鉱が閉山するたびに失業者が増えた。別の山も縮小しており、炭鉱業に再就職できるのは一部である。外の仕事は時間に厳しく低賃金のため、うまくいかないことが多い。元炭鉱夫の生活保護受給者は増加した。
 炭鉱の閉山とともに夕張市はゴーストタウンとなり、箱物建設による観光政策も失敗した。

 

全記録炭鉱

全記録炭鉱