うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『世界の名著 モンテスキュー』その2 ――民主主義体制の起源

 「法の精神」

 1748年に出版され、政治における権力分立の重要性を唱え、後の政治思想に影響を与えた本。

 

 1 法について

 法とは事物の本性に由来する必然的関係である。物理的な法と同じく、正義の法や衡平の法も、人間以前に存在する。

 例えば、社会の掟に従うこと、感謝すること、自らの作り主に従うこと、災いには災いをもって報復することなどがあげられる。

 しかし、人間という知的存在は有限であるため、法に対し誤りをおかすことがある。

 このため、神は宗教の法をもって、哲学者は道徳の法をもって、立法者は政治法・市民法をもって人間を義務に立ち返らせるようにした。

 

 自然法とは、この3つの法に先立つ、人間の原始状態における法である。ホッブズの考えとは異なり、モンテスキューにおける人間の自然状態(自然法)は「お互いの恐怖に基づく平和」であり、やがて社会生活への要求に結びつく。

 社会の成立とともに個人及び集団間の戦争が始まる。よって、国際法、公法(国内の政治法)、私法(市民法、市民間の法)が生まれる。

 公法・私法は、民族固有の性質により異なる。自然条件や生活様式、政体の自由度、宗教、富、規模等によって、適切な法は変わる。

 これが「法の精神」であり、「法律が事物ともちうるもろもろの関係」である。

 

 2 政体の本性と法について

 政体には共和制、君主制専制の3つがある。共和制は人民主権を、君主制は君主と制定法による統治を、専制は1人が意思と気まぐれにより統治する政体をいう。

 共和制には、民主制と貴族制が含まれる。

 民主制において、執政官や元老院は、人民が選んだものでなければならない。しかし、人民の間に、富や階級に基づいて区別することが重要となる。投票法も、民主制の基本法である。

 貴族制では、主権は一定数の人びと(貴族)の掌中にある。貴族制では、貴族の数が多く民主的で、また人民が少数かつ抑圧されない状態が最良である。

 共和制における独裁官は、君主を越える権限を持つが、その任期は短期間でなければならない。

 

 君主制は、君主が基本法により統治する政体であり、貴族の存在(中間身分)が前提である。専制に移行しつつある君主制では、宗教権力が抑止のために有用である。

 また、君主制では、法の寄託所(高等法院など)が必要である。

 

 専制においては、君主が宰相をたて、かれにすべての統治を一任する例が多い。

 

 3 三政体の原理について

 原理とは、政体の本性を動かす人間の情念である。法は、本性と原理とに関連する。

 民主国家の原理は「徳性」(祖国への奉仕、利益の擬制、栄光の希求、自己の放棄)である。貴族制の原理も「徳性」だが、民主制ほどには要求されない。よって、貴族制の魂は、特性に基づく「節度」である。

 君主制においては、徳性は条件ではないため、通常、欠落している。

 

 ――無為徒食の中の野心、尊大さにひそむ低劣、働かずに富もうとする欲望、真理への嫌悪、へつらい、裏切り、不実、あらゆる約束の放棄、市民の義務の軽蔑、君主の徳性への恐怖、その惰弱への期待、そして、それにもまして、徳性に向けられるたえまない嘲笑が、大部分の宮廷人の、時と所をこえて、きわだった特徴をなしていると思う。

 

 ――もし、人民の間にだれか不幸な正直者がいたら、君主は、かれを登用しないよう注意せねばならぬ、とリシュリュー枢機卿はその政治的遺言の中でほのめかしている。

 

 君主制の原理は「名誉」である。名誉は偏愛と寵遇を求めるため、貴族たちは君主の下、名誉のために公益に奉仕する。

 

 専制においては「恐怖」が必要である。専制においては、高官のみが恐怖に支配され、人民はかえって平和を享受することもある。

 

 ――そこでは、人間の宿命は、けもののように、本能、服従、処罰である。

 

 結論としては、共和国においては、人びとは有徳でなければならない。

 

 4 教育の法と、政体の原理との関連

 教育は、各政体の原理に基づいていなければならない。

 君主制……高貴、率直、礼儀正しさ。徳は自分に対して負うものとなる。ただし、すべての徳性は名誉の望むものとなるため、真実や真の礼儀正しさは捻じ曲げられる。

 専制……恐怖と無知が不可欠である。よって教育は不要である。

 

 ――君主制において、教育がもっぱら魂を高めることに努めるのと同じように、専制国家においては、それはもっぱら魂を低めることしか求めない。

 

 共和制……政治的徳性、すなわち法と祖国への愛を教育しなければならない。自己利益よりも、公共の利益が優先される。

 

 5 制定法と、政体の原理との関連

 民主制における特性は、祖国愛である。それは平等、質素、奉仕の追求となる。こういった精神を確立するためには、まず法が平等と質素を確立していなければならない。

 モンテスキューは、商業について、資産を分割しゆたかな者も働く必要のある状態にすべきだと主張する(富の分配)。

 

 専制において国家の保全とは、君主の宮殿の保全である。専制の目的は静寂であり、敵に占領されんとるする都市の沈黙である。

 専制は最悪の政体で、人間の本性には反している。しかし、温和な政体の確立には大変な努力が必要となるに対し、専制は無為と怠惰によって一様に出現する。

 

 6 市民法及び刑法など

 専制や苛烈な政治体制下ほど刑罰は厳しい。すぐれた立法者は、刑罰を予防や更生に用いる。

 

 ――極端に幸福な人間と、極端に不幸な人間は、ともにひとしく過酷となる傾向がある。

 

 刑罰は罪の重さに正しく比例している必要がある。歴史上、奇妙な刑罰不均衡の例が示される(大臣への悪口は処罰されるが、王への悪口は処罰されない等)。

 拷問は文明化した国では不要である。

 

 7 奢侈と女性の地位

 君主制専制においては奢侈は不可欠である。共和制はその逆である。

 

 ――共和国は奢侈によって終わり、君主国は貧困によって終わる。

 

 モンテスキューは、女性を奢侈と規律違反の原因とみなす。

 

 8 原理の腐敗について

 共和制原理の腐敗……平等精神を失うか、過度の平等を求め、執政官、元老院、老人、父に対する尊敬が失われること。

 

 ――女、子供、奴隷は、だれにも服従しないだろう。

 

 堕落した人民は専制君主、僭主を呼び込むか、または壊滅する。

 真の平等の精神とは、同輩に服従し、同輩を支配するようにすることである。

 

 ――自然状態では、人間はたしかに平等なものとして生まれる。だが人間は、自然状態にとどまることはできないであろう。社会は平等を失わしめる。そして人間は法によってのみふたたび平等となる。

 

 人が執政官として、元老院として、裁判官として、父として、夫として、主人として平等を求めるようになると、それは破滅にいたる極端な平等精神である。

 

 ――……共和国はなにかをおそれていなければならない。……不思議なことだ、これらの国家は安全になればなるほど、静水のように腐敗しやすいのである。

 

 君主制の原理は、君主が諸団体や都市の特権を奪うときに腐敗する。また名誉観念が失われ卑劣漢が権勢をほこるときに腐敗する。

 共和国の本性上、小さな領土しか持てない。巨大な共和国は富の不均衡を生み、人心から節度が失われる。公共の福祉は軽視される。

 一方、君主制は中程度の規模が、専制は広大な領土が適切である。

 

 9 防衛力と法

 国土が広がれば広がるほど、防衛は困難になる。

 

 10 攻撃力と法

 交戦権に続く征服権について。モンテスキューは、交戦と征服を国家に与えられた権利と考える。

 

 ――征服とは獲得である。獲得の精神は、維持と利用の精神を伴うのであって、破壊の精神は伴わない。

 

 征服は権利だが、殺戮と隷従は認められない。隷従は、維持に必要な限りにおいて、過渡的に認められる。

 

 

 [つづく] 

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)

 

 

『世界の名著 モンテスキュー』 その1 ――民主主義体制の起源

 ◆メモと感想

 政治や社会に関するモンテスキューの意見は、現代にも受け継がれている。一方、いまの基準では偏見や間違いととらえられる文言もある。

 

モンテスキューは政治体制を専制君主制、共和制に分類する。共和制は、さらに貴族制と民主制に細分化される。3つの政治体制の統治原理は、それぞれ恐怖、名誉、徳性である。

 民主制が成り立つには、各市民が徳性を有している必要がある。徳性のない民主制は、ときに暴政を招き、専制にいたる。

三権分立……立法権、行政権、司法権のうち、とくに立法行政と司法との分離が重要であると考える。

 三権が分離していなければ、共和制であっても政治的自由はない。

・一般精神……社会や政府を形成するのは、土地、気候、風土、民族の慣習といった根本的な要素である、というのがモンテスキューの考え方である。こうした要素のいくつかは生来備わったものであり変化しない。

 よって、ある地方の民族は生まれつき怠惰であり、奴隷制も致し方ない、という結論が生じる。

・宗教と政治の分離、宗教に基づいた刑罰や体刑の廃止を唱える。

啓蒙主義……奴隷制廃止、異端審問への非難。

 モンテスキューは、奴隷制の一因は他民族への偏見に基づくと考えている。黒人奴隷制についても、こうした偏見が一因である。

 宣教者の精神も、奴隷制の維持に加担している。

・女性は本質上、男性に従属的であり、特に南国の女性は老化が早いために市民として不完全であるとされる。また、女性は奢侈の象徴である。

・征服権……他民族を征服したとしても、かれらを奴隷にせず、また殺戮しない限りは、征服もまた正当な権利として認められるとする。この見方は、あまりに楽観的である。

・商業……商業は平和を導く一方で、必ずしも徳性とは一致しないことを指摘する。

 

  ***
 「ペルシア人の手紙」

 フランスを旅行するペルシア人皇子からの手紙という形式を使ったフィクション。フランス社会について批判する一方、ペルシア人もまた東洋の慣習にとらわれているという設定である。

 イスファハンのユズベクは、知識欲にかられて旅行に出る。

 トログロディトの伝説……万人が利己心のみに基づき行動し、自滅していく。やがて生き残った徳のある家族が、民族を再生させる。

 

 ――……個々人の利益は共同の利益のうちにあり、それから離脱しようとするのは身を亡ぼそうとするのと同じであること、徳行はけっしてわれわれに高くつくはずのものではなく、……他人に対する正義は自分に対する施しだ、ということだった。

 

 卑劣な異民族に対し、トログロディトは団結し防御を固めていた。かれらは異民族の侵入を阻止した。

 国王を立てて統治させることは、自分たちが自らに課した徳の重荷から逃げることである。

ペルシア人の社会規範……男尊女卑

・フランスの状況

 官職売買

 国王による精神支配……インフレ促進、貨幣改鋳

 法王による精神支配と、手下の司教たちによる法の作成と免除

 

 ――スペインとポルトガルには冗談を解さぬある種の坊主(デルヴィ)どもがいて、人間を藁のように燃やしてしまうんだそうだ。

 

・東洋風専制国家……トルコ、ペルシア、インド

・フランス社会の低俗な人物たち……徴税請負人、教導僧、詩人、老軍人、艶福家(遊び人)

・決疑僧と免罪符ビジネス

 

 ――ユスベク君、原子、つまり宇宙の一点にすぎない地球の上をはいずりまわっている人間が、われこそは神の似姿なりとまともに名乗り出るのを見るとき、これほどの向こう見ずと、これほどの矮小さをどう調和したらよいのか、ぼくにはわからないのだ。

 

・スペイン人、ポルトガル人の気質……謹厳、情熱、異端審問

・東洋型の残酷な刑罰が、治安と秩序に貢献するとは考えられない。

・廃兵院(アンヴァリッド)を評価

ペルシア人は、宗教的多様性は国家に有用であると主張する。

・統治原理……

 東洋的専制:恐怖

 フランス王制:名誉

 共和制:徳行

ペルシア人の公法概念……人と人同士の民法と、民族同士の民法は同等である。

 正しい戦争とは、自衛戦争と、同盟国救援の戦争である。

 ただし、同盟は正しいものでなければならない。第三国を圧倒するための同盟、暴君との同盟は違法である。

 

 ――征服はそれ自体ではなんの権利も与えない。征服後も、なお民族が存続していれば、征服は平和と損害賠償の保証になるが、民族が滅亡するか四散してしまえば、それは暴政の記念碑となる。

 

・ヨーロッパの国々のほとんどは君主制だが、それは専制または共和制に変質している。

モンテスキューと、ロック、ホッブズとの違い……社会契約論の否定

・英国人は、君主と人民との関係が感謝に基づくと考える。君主が、暴政をおこなえば服従の根拠は消滅する。

・技術と技芸について……技芸は人間を強靭にし、無為はすべての悪徳のなかでもっとも気力をくじくものである。

 

 ――君主が強大であるためには、その臣民がおもしろおかしく暮らさなければならない。

 

・ジョン・ローの経済政策に対する批判……

 

  ***
 「ローマ盛衰原因論

 ローマ帝国滅亡の原因を検討する。

 

・ローマ初期における拡大の原動力は、めぼしい産業がなく略奪が不可欠であったこと、貧しいために絶えず対外戦争を続けたことだった。

・ローマは多民族の長所を取り入れた。

・貧しいことがローマの力だった。ローマは、全会一致で戦争に臨んだ。

・ローマ人は他民族を服属させたが、自分たちの法や慣習を強制しなかった。

・王政から貴族政へ、貴族政から民衆政体へ

・ローマにおいては、国家組織は人民、元老院、行政官によってたえず権力の濫用を阻止してきた。

 イギリスもまた議会によって政治の検討と修正が行われた。

・ローマの共和政とその終焉……ポンペイウスは人民の人気をとり、やがてカエサルクラッススと同盟した。

カエサルの台頭と暗殺、その後の内乱と、オクタウィアヌスの勝利

 

 ――アウグストゥスは秩序、言い換えると永続的隷属体制を建設した。

 

 モンテスキューによればアウグストゥスは狡猾な暴君だった。

 共和政は継続戦争を方針としたが、帝政では平和維持を重視した。

 ティベリウスは大逆罪(ロワ・ド・マジェステ)を恣意的に運用し圧政を敷いた。

 カリグラ、ネロ、コンモドゥス、カラカラなどの暴君は、財産家から財産を没収し下層民に与えたため、人民からは支持された。

 その後の帝政時代から東西分裂へ。

 軍隊の規律は緩み、外人部隊が主な戦力となった。

 

 ――このようにしてローマ人はあらゆるものの支配者となった時代の習慣と正反対の習慣を打ち立ててしまった。しかもかつてその不動の政策というのは戦術を保存することであり、隣国の戦術を奪うことであったが、この当時、自分の戦術を解体してしまい、多民族の中にそれを確立させたのである。

 ――つまりローマ人は彼らの軍事的規律を失ってしまったのである。

 

 武力によって確立した帝国は武力で維持される必要があるが、ローマは軍隊を弱体化させた。

 東西分裂後、西ローマは滅亡し、東ローマだけが残った。

 

 ――ギリシア帝国の歴史も、反乱、暴動、裏切りの織り成す歴史にほかならなかった。臣民は君主にたいして当然いだくべき忠誠心がないのみでなく、帝位継承はよく中断される……。

 ――キリスト教は帝国内で支配的になったが、つぎつぎに多くの異端が起こるので、これを弾圧しなければならなかった。

 

 教会が国家権力と結びつき、腐敗していった。

 

 ――各民族には一般精神が存在し、権力さえそのうえに基礎をおいている。権力がこの精神に抵触すると、権力そのものが衝突し、必然的に停止してしまうのである。

 

  ***

 「法の精神」は、その2以降

 [つづく]

 

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)

 

 

 

『十七歳の硫黄島』秋草鶴次 ――自分の体にたかる蛆虫を食べて生き延びた高校生

 

 海軍通信科員として硫黄島の戦いに参加した人物の手記。

 戦闘の具体的な経過、実際の様子を詳しく記録している。

 秋草氏は悲惨な戦況のなかで自らも負傷するが、絶対に生き延びるという強い意志を持っていた。このことは、回想録の各所で伺える。玉砕を選ぶのではなく、生きる意志を保持し続けたことで、かれは運よく生還することができた。

 大多数の人間はまったくの確率や運によって戦死・餓死した。

 これだけの壮絶な戦闘で死んだ人びとを、無意味な犠牲とするのか、現在の安定の基盤とするのか、どのように位置付けるかというの問題は解決不能である。

  ***

 1

 著者の秋草氏は昭和17年に海軍に入隊した。当初予科練飛行兵を志望したが第2希望の通信科になった。横須賀通信学校での教育後、南方航空艦隊司令部への配属が決まった。

 この任地が硫黄島であるとわかったのは行く直前だったが、数日間の休暇をもらったことで、おそらく激戦地なのだろうと予見できた。

 1月下旬には、米軍の大艦隊が硫黄島を包囲しており、毎日課業時間にあわせて砲撃を行った。あわせてB29による爆撃、艦載機による射撃も行われた。

 秋草氏は南方空司令部の通信部署担当となり、はじめ司令部壕の地下でモールス信号の送受信を行った。他には暗号部署などがあった。

 司令部壕には士官室、会議室、他の兵科の執務室、便所、安置所(屍体を積み上げるだけ)、ポケット(見張りや避難のための小さな穴)があった。

 すさまじい熱気と臭気が充満していた。

 かれらは横にしたドラム缶の上で寝なければならなかった。

 日々の砲撃や消耗により傷病者が増えたが、看護婦などはいなかった。

 

 2

 ――全島の各部隊に戦傷病者がいる。すべての病院、医務機関はすでに溢れている。蟻が寄ってくると、次はかれの番かと死期を暗示させた。逝く者からは蚤も別れてくる。それまで群がっていたかれらは音を立てていっせいに次の獲物に飛びかかる。

 

 ――壕内は血塗られていて歩きにくい。血潮に染まった生存者と、屍体が添い寝している現実の中にあっても、自分だけは生きるんだという執念が、片時も俺を捕えて離さない。

 

 ――老廃物、排泄物、なまぐさい血潮など、あらゆる臭気が混ざって、地熱に醸し出される。

 

 2月に入り、秋草氏は米軍上陸予定地点である摺鉢山に近い玉名山送信所に移動した。

 6時間シフト勤務の明けには、島内を散策した。地表は艦砲射撃により一変しており、地獄のような光景だった。

 陸軍はひたすら穴掘りをしており、それに比べれば、作業を免除された自分たち通信員は楽だったろうとコメントしている。

 通信科は偵察も行った。米艦船の数が増加し、島の南側海岸から上陸するのは間違いないと思われた。皆、硫黄島をスルーしてくれればいいのに、と祈っていたという。

 

 3

 2月19日に米軍の上陸が始まった。

 送信所勤務員である秋草氏は攻撃手段を持たなかったため、トーチカの中から様子を観察した。上陸部隊と守備隊との激戦が始まった。

 

 ――彼我の距離1キロメートル足らずの地に、双方、併せて5万を超す人間の殺戮戦が繰り広げられた。10時間に及ぶ膠着戦であった。

 

 ――米軍海兵隊は、重火器等の執拗な補充、艦砲支援射撃、航空機の掩護射撃、それらの緻密な連携攻撃が相まって、しだいに侵攻してきた。

 

 夜間はロケット弾と斬り込み肉弾攻撃が行われた。

 

 ――夜陰を背景に、オレンジ色の爆発光源が逆円錐形に鋭く広がり、種々雑多な破片が舞い上がる。それとわかる人体の一部も舞っている。

 

 4

 摺鉢山に海兵隊星条旗を掲げた後も、日本軍は壕に潜み、夜間に日章旗と取り換えた。この行為は2度行われたという。

 

 ――するとそこには星条旗ではない、まさしく日章旗が翻っていた。よくやった。日本軍は頑張っているのだ。この島のどこよりも攻撃の的になっている場所なのに。

 

 壕で出会った耳の悪い日本兵は、耳が遠く迷惑がかかるために、何度も決死突撃を命じられ壕から追い出されていた。

 持久戦の実相は次のようなものだった。

 

 ――前線基地からの情況連絡員が来た。……弾薬がない。素人の手も借りたい。悲痛な訴えであった。その連絡員を見れば、両手首から先がない。

 

 ――……撃て撃て、といくら掛け声をかけても、怒鳴り散らして無用な軍刀を振りかざしても、弾丸がない。運ぶ者がいない。射手がいない。

 

 ――(屍体から銃を手に入れたところ)しかし、この手に持ってみると、交戦したい感情などみじんもわいてこない。あんなにほしいと思っていたのに、どうしてかわからない。

 

 下手に一発撃てば自分たちの居場所を教えることになり、艦砲射撃や陣地からの砲撃を受け、仲間に迷惑をかけることになった。

 秋草氏は通信所員として敵情視察し情報を北の司令部に送るものの、どこまで届いているかは不明だった。

 

 5

 艦砲射撃を受け、右手の指数本を失い、左足に貫通破片創を受けた話。

 

 6

 3月6日、玉名山地区壕で治療を受けていた秋草氏は竹槍を渡された。その2日後に、総攻撃が行われることが決まった。栗林兵団長は総攻撃をしないよう指示したが、南方空は従わず、南地区隊のみが突撃することになった。

 

 7

 南方空の壕に飛行兵らしき将校があらわれ、総攻撃後、軍紀の消滅した壕を指揮すると宣言した。

 

 ――指揮官を名乗った男は、何ら自己紹介するでもなく、また職務分担を決めるわけでもない。ただ、「勝手な行動は許さない」ということだった。

 

 水を求めてドラム缶にホースをさしては吸い込んだが、ほとんどは重油軽油だった。

 司令部の霊安室では、屍体の山から燐が分泌され、暗闇の中で青く明滅していた。

 

 ――足元にあるのはかつて人の身体だったものであろう。足が触れると、腐った甘藷やかぼちゃを踏んだときのような感触が伝わってくる。中心の骨だけが固く、まわりのものはずるっとそげて骨が裸になる。……燐が飛び出すのを、かろうじてへばりついた肉片が抑えているような屍体があった。その泥んこのような肉片がずり落ちたら、ものすごい数の燐が噴き出しそうだとわかる。

 

 ――さっき見たあのたくさんの燐の主は、死んでしまうと、自由のないこんな姿になるんだよと教えているように思えてくる。だからみんなが言った、命を粗末にするな、短気を起こすな、と。生きるための努力を俺もする。ただできることをするしか、生かされる道は転がってこないと思った。

 

 米軍の掃討作戦……催涙弾、ガス、水責めとガソリン火責め。

 

 8

 運よく火責め壕から逃げ出した秋草氏は島内を彷徨した。

 かれは自分にたかった蚤や虱を食べた。

 

 ――疼く傷口を見た。丸々と太った真っ白い蛆が出てきた。……口中に入れると、ブチーッと汁を出してつぶれた。すかさず汁は吸いこんだが、皮は意外に強い。一夜干しでもあるまいに。しばらくその感触を味わった。

 

 9

 正体不明の指揮官は米軍の呼びかけに応じて投降したが、著者はその様子に反感を抱いた。

 

 ――……その指揮官は、……どんな指揮もとらなかった。点呼など一度もない。この壕に何人いるか、などということにも興味はなかったようだ。いつだれが死んでも自決しても、頓着も関心も示さなかった。だから俺は、いまさらついていく気にはなれない。

 

  ***

 捕虜になり米本土を転々としたあと故郷に帰ってきたとき、自分自身の葬式が行われていた。

 

 ――耐久試験だ、これは。人間の……。でも頑張るんだ、このことを誰かに言うんだ、と思った。だから俺は生きなくちゃなんない。……そういう気持ちだった。

 

 ――死んでね……。意味があるんでしょうかねえ。どうでしょうねえ。だけど、無意味にしたんじゃ、かわいそうですよね。それはできないでしょう。「おめえ、死んで、意味なかったなあ……」っていうのでは、酷いですよね。……どんな意味があったか、それは難しい。でもあの戦争からこちら60年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、と言ってやりたい。

 

十七歳の硫黄島 (文春新書)

十七歳の硫黄島 (文春新書)

 

 

『非公認版聖書』フォックス その2 ――だれもイエスが何を言ったか知らない

・追加と削除

 

 ――……キリスト教のテクストは、それが誕生した最初の100年間は、いわばテクストの入れ替えと書き直しの戦場のようなものだった。

 

 ――こうした問題はたしかに、ある人たちを除けばそれほど重要ではないのかもしれない。ある人たちとはどんな人たちなのかというと、聖書は神の言葉であるために、そこには一点のあやまちもないとなお言い張っている人たちである。

 

 しかし、中には信仰そのものに関わる例もある。

 イエスは本来「新約聖書」のなかで、一度も「神」と呼ばれたことがないのではないか。

 

・巻物から書物へ

 ユダヤ教における巻物(スクロール)の使用に対抗し、キリスト教徒ははじめパピルスを、その後写本(コデックス)の使用を進めた。

 「新約聖書」の正典が定められたのは3、4世紀以降とされる。「旧約聖書」に至ってはさらに後世である。

 

  ***
 3

・歴史

 ヘロドトストゥキディデスは、本人は意識していなかったが、事実の相互関係を明らかにするという歴史学者の姿勢を持っていた。

 旧約聖書の「事実」には、そういった観点はあるのだろうか。

 編纂される前の伝承部分には、当時のユダヤ人王朝の歩みを批判的に記述した箇所がみられる。しかし、モーセ五書編纂者(D)によって、このような歴史的な視点は消されてしまった。

 

ダビデからパウロ

 Dの記述する「列王記」から、ダビデは理想化され、事実は後退していく。

 

 ――われわれの目に映るユダヤ人は、あやまった歴史をたくさん書いたほどには、それほど頻繁に正確な歴史は書かなかった。しかし、事実ではないその物語が圧倒的な効力をもったのだ。

 

 「使徒言行録」の作者もまた、神のはからいという世界観に従って物語を作り上げている。

 

・発掘と探査

 イエスの死後、ペトロ、ヨハネパウロが布教を進めた時代には既に、聖地の名所旧跡を巡る旅行が行われていた。

 ただし、福音書には洞窟の記載は存在せず、イエスベツレヘム出身ではない。当時の人びとはカフィー(頭巾)をかぶっていなかった。

 聖書考古学の進展により、聖書の物語を証明することはできなかったが、聖書の起源や成立を検証することが可能になった。

 

・第五の福音書

 聖書の物語と現実に発掘された遺物との交点はごくわずかである(一部の都市の移転や、下水道整備の記述など)。

 ソロモン王の財宝や、黄金神殿の証拠は探しても見つからない。

 新約聖書ギリシア語で書かれているが、イエスやその信徒たち、ユダヤ人たちがギリシア語を話したという記録は残っていない。

 

・異教徒たち

 「列王記」等のユダヤ人史と、同時代の他民族の歴史(アッシリア人バビロニア人、ペルシア人)とを比較することで、聖書がどの程度史実に基づいているかを判断できる。

 「列王記」は、史料をもとに編纂しているだろうが、事実は「神の恩と報復」という世界観によって歪められている。

 「エズラ記」、「ネヘミヤ記」は、ほぼ同時代人が書いたため史実に近いが、編纂者は2書の前後を間違った。

 「エステル記」はペルシアの慣習や文化に詳しいが、内容は完全なフィクションである。

 

・イエス

 イエスが実在の人物である限り、それは史学、考古学の対象となる。

 屍体の埋葬場所はこれまでに何度も探索されてきたが見つかっていない。トリノの聖骸布は、14世紀につくられたものである。

 ローマの歴史資料(ヨセフス)によれば、人心を惑わしたとして磔刑にされた人物の記録が残っている。

 イエスユダヤ人によって死に追いやられたとされているが、史料ではユダヤ教のサンヘドリン(最高法院)がイエスを罰した可能性は低い。また、ポンティウス・ピラトは実際は粗暴な人物だった。

 マルコ、マタイ、ルカの福音書は、ユダヤ人がイエスを殺そうとしてピラトに圧力をかけたことが強調されている。一方、ヨハネ福音書では、イエスは捕らえられる前から既にお尋ね者である。

 ヨハネはもっとも事実に近いだろうが、それでもイエス処刑の原因を明らかにはしてくれないという。

 

預言者

 預言者は当時の中東のあらゆる宗教において存在した。

 現在、我々は預言者のことを急進主義者、反体制派とみなしがちだが、実際は、体制側……祭祀階級や律法・伝統に近い位置に立っていた。

 

・「旧約」と「新約」との照応

 「旧約聖書」がイエスの出現を予言しているという考えは広く支持されているが、多くはこじつけである。

 「ヨハネの黙示録」は、成立当時のネロやドミティアヌス帝治世を描いたものであるという。黙示録は、「堕落した現世の権力と天の完全なイメージ」を表そうとしている。

 

  ***

 4

・物語としての聖書

 

 ――したがって聖書は、実際に起きた出来事をならべて記したものではない。しかしそれはなお書物の形態をしていて、読む人びとに深い影響を与え、新しい読者をさらに獲得していく。事実の問題として、聖書が真実であろうとなかろうとそれにかかわりなくである。

 

 聖書は、イスラエルの作者とその自称後継者である教会が、神についての信念を書き記したものだった。

 果たして、聖書はつくり話と歴史と文学が混ざったものなのだろうか。

 

 ――物語のもつ力はその神性にあるのではなく、むしろ人間性にあるといってよいのではないだろうか。

 

 沈黙……説明・描写の省略が、聖書の物語に力を与えている。読者は、書かれなかった空白について深く考えるようになる。

 聖書の多くは物語でありフィクションだが、そこから人びとの物の見方を知ることができる。

 物語の中では、多くの人間が神の幻を見たり、声を聴いたりする。

 神の顕現……アブラハムは神に食事をふるまった。ソドムの挿話では、付き人を連れた神の姿が目撃される。一部の高位の人間が神に会うことがあった。

 神の御使い=天使は様々な場面で登場する。

 旧約から新約まで、「あらゆるところで神と出会える」世界観が貫かれている。

 

・神の文書

 古代には、聖書と文学(ラテン語による異教徒たちの古典)とが峻別されていた。聖書のスタイルはあまりに粗野でぶっきらぼうに思われた。

 文学として聖書を読むこともまた解釈の1つである。

 

・人間の真実

 聖書において、女性は明らかに低い地位に置かれている。当時のユダヤ教における認識を反映したものである(そしてこれは後世の教会が原始キリスト教の男女平等志向を改変したものである)。

 神の名のもとに、異民族を虐殺することがよしとされている。異教徒の作品であるギリシア悲劇ホメーロスにはない感覚である。

 聖書の出来事はほぼすべてが必然であり、神の意志・意図である。

 律法と、律法では解決できない事柄に関する善悪を提示する(タマルと義父ユダの話)。

 ヘブライ聖書において、人びとは自分たちの神が必ずしも正義を行うわけではないこと、攻撃性を持っていることを認識していた。

 聖書は、人間のあやまちと邪悪さを記した本である。そして、神はジェノサイドを推進する存在である。

 

 ――(聖書の真理とは)……イスラエルの人びとや最初のキリスト教徒たちが、あれやこれやをこんなふうに信じていたのだという真理である。

 

非公認版聖書

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