3 第1次大戦終結(1918年)まで
・修正憲法により黒人の自由、市民権、選挙権が認められたが、南部各州では黒人差別の合法化がすすめられた。
・先住民の追放、虐殺も激化し、1871年の法律により先住民は居留地Reservationへ追い込まれた。
・1876年 リトルビッグホーンの戦い
・ワースト大統領ユリシーズ・グラント(1869~77)……「金ぴか時代」、汚職、金儲け、癒着
・傑物たち……鉄鋼王アンドリュー・カーネギー、石油王ジョン・ロックフェラー、トマス・エディソン
・1892年結成の人民党Populist Partyは、第三党として歴史に名をとどめている。
・19世紀末以降の新移民……東欧、南欧、スラヴ系・ラテン系、カトリックやギリシア正教、ユダヤ教、中国系・日系
・帝国主義の道……
1898年の米西戦争により、セオドア・ルーズヴェルトはフィリピン、プエルトリコ、グアムを領有した。
・セオドア・ルーズヴェルトによる改革の時代
――いずれにしてもこの時代に、それまで「人民を治めるための、政界のボスによる、実業家のための政治」とまでいわれた独占資本の弊害が、ある程度まで軽減されたことは間違いない。
・第1次世界大戦……ウィルソンは当初中立を宣言したが、ドイツのツィンメルマン文書や無制限潜水艦作戦を受けて参戦を決定した。実際の理由は、合衆国企業や銀行の権益保護だったといわれる。
・国際連盟……合衆国は参加を否決した。
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4 日本への原爆投下(1945年)まで
・1920年、大統領に当選したウォーレン・ハーディングは、自分の仲間(オハイオ・ギャング)を優遇し縁故政治を進めたためグラントと並び史上最低の大統領とされる。
・クーリッジ大統領は「何もしないことを芸術の域にまで高めた」。
・ハーバート・フーヴァーの代
・1920年代……ジャズ・エイジ
1919年 禁酒法発効、1932年にFDRにより廃止
1920年 女性参政権成立
ハーレム・ルネサンス、黒人文化の興隆、ハリウッド
・移民の排斥……中国系、1924年排日移民法
・1929年10月24日 暗黒の木曜日
1932年 FDRの就任
・三選された大統領(戦後、憲法修正により三選は禁止)、ニューディール、エリノア夫人
1937年「隔離演説」においてファシズムを警告したが、戦争介入を招くとして議会や世論から非難された。
・真珠湾攻撃の不意打ちは、在米大使館のミスによるものだったと戦後、外務省は主張している。
――これほど大きなミスを犯した当時の大使館関係者が、その後まったく責任を問われないばかりか、逆に出世しているのを見て、真珠湾の奇襲は国家ぐるみの陰謀だったという説がアメリカのなかに生まれてくるのである。
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5 ニクソン大統領訪中・訪ソ(1972年)まで
・トゥルーマン政権時代……非米活動調査委員会、マッカーシズム
・黒人運動
1955年 アラバマ州モントゴメリーのバスボイコット運動と、キング牧師
1957年 リトルロックでの白人高校への黒人入学事件
・雪解け:フルシチョフによる外交
――これはソ連特有の宣伝効果を狙っていたばかりではなく、かなりの程度フルシチョフの隠された本心であったことが、ずっと後になって判明する。しかも彼のこの軍縮指向が、64年の突然の失脚と深く結びついていたことも、いまでは明らかになっているのだ。
1960年、アイゼンハワーは告別演説において、軍産複合体の危険性を指摘した。
・続く民主党のケネディ政権は、社会にリベラルと改革の空気を呼び起こした。
1962年 キューバ危機
1963年11月 ケネディ暗殺
・軍部の力は拡大し、大統領でさえも容易に抑えることができなくなっていた。
1964年 公民権法発動
1965年 ジョンソンの北爆開始
ハーレム暴動、ワッツ暴動
1968年 キング牧師暗殺
FSM(フリー・スピーチ・ムーブメント)
・ニクソンは1968年大統領に就任した。当初ベトナム戦争から抜け出せず、さらにカンボジアにも侵攻した。
1972年、訪中により国交回復し、さらにソ連との軍縮交渉を成立させた(SALT1)。
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6 米ソ首脳による冷戦終結宣言(1989年)まで
1973年 パリ休戦協定
石油危機は小型車需要を生み、これが日本車輸出の拡大につながった。
70年代を通じて、マイノリティ……黒人、先住民、アジア系、女性らの権利運動が盛んになった。
1974年、ウォーターゲート事件によって、ニクソンは辞任した。
――アメリカ人は無能だった大統領よりも、ウソをついた大統領の方を憎む。大統領の言動が虚偽に満ちていたというのでは、国家の威信を保てるはずがないからである。
フォード大統領の後、76年に民主党カーターが就任した。
カーターは人権外交や各種の行政改革に取り組んだが、在任中はスリーマイル原発事故(79年)やイラン革命に伴うテヘラン人質事件が発生した。またソ連が軍縮交渉をあざ笑うかのようにアフガンを侵攻したため、カーターの支持率は急落した。
1980年 レーガン就任
かれは時代の要請に適合していた。それは、「強いアメリカ」の再現と、「伝統的なアメリカの価値観」再構築である。
・レーガノミクス……大型減税と「小さな政府」(財政支出削減)
1983年 SDI(スターウォーズ計画)
・1985年 ゴルバチョフ総書記就任
・1986年には、債権国から債務国へ転落した。
1987年 暗黒の木曜日
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7 イラク戦争まで
・2002年 人口の多い州
カリフォルニア、テキサス、ニューヨーク、フロリダ、イリノイ、ペンシルヴァニア、オハイオ、ミシガン、ニュージャージー、ジョージア、
・貧しい州
ミシシッピ、アーカンソー、ウェストバージニア、ニューメキシコ、ユタ、モンタナ、アイダホ、サウスカロライナ、ルイジアナ、オクラホマ
――ペンシルヴァニア大学のポール・ファッセル教授によれば最上層に位置する人たちは世間から見えない層であり、最下層の底辺もまた世間からは見えない層であるという。
・湾岸戦争
1991年1月 砂漠の嵐作戦
教訓……軍による報道規制が国民の目をふさいだ。イラン・イラク戦争以来、アメリカは一貫してイラクを援助してきたため、イラクはアメリカ製のハイテク兵器で戦った。
1992年11月、大統領選において、ブッシュはクリントンに敗北した。
クリントンは中道リベラル政策を進め、特に経済政策に力を入れた。
――わずか4年前の88年の大統領選挙では……ブッシュ陣営はまるでリベラルであることが犯罪でもあるかのようなムードを創り出すことに成功したのだった。
自国の戦争に反対する大統領は珍しく、クリントンはベトナム戦争に反対した点で稀有な存在だった。
湾岸戦争前後の軍事介入について……ナショナリズムと共産主義勢力の見分けがつかず、かつて自由と平等を目指した国が、独裁政権を支援する立場に回った。
クリントンは徐々に介入主義から手を引いた。
93年 中東和平合意
2000年のW・ブッシュ当選と、2001年の同時多発テロは、アメリカ社会を完全に変えた。
一国行動主義がすすめられ、アメリカはますます嫌われ者になっていった。
――今や巨大な軍事大国と化したアメリカにも、その絶頂期が永遠に続くという証拠がまったく見当たらない。……その大きな兆しは、かつてあれほど愛され好かれていたこの国が、今では嫌われ恐れられる国になろうとしていることである。
検証アメリカ500年の物語 (平凡社ライブラリー―offシリーズ)
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