うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『神の歴史』カレン・アームストロング その4

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 15、16世紀は西洋が東方文明を追い越し、進出を始めた時代である。この過程でキリスト教も激変し、カトリックプロテスタントに分裂した。

 オスマン帝国コンスタンティノープルを占領し、東ローマ帝国が滅亡したことにより、ギリシア正教はロシアに引き継がれた。

 1492年、スペインのムスリムが制圧されたとき、スペインのユダヤ人は改宗か追放を迫られた。ユダヤ人の多くはひそかに信仰を続けるか、北アフリカ、トルコ、バルカン諸国に亡命した。

 ルネサンス時代にイスラム世界が停滞したというのは必ずしも正確ではない。政治勢力としてはオスマン帝国サファヴィー朝ムガル帝国が繁栄し、また絵画芸術も発展した。

 

・ダマスカスのイブン・タイミーヤ……ムハンマドと『クル・アーン』の時代に回帰すべき。

イラク学派のムッラ・サドラ……スーフィー

シーク教……ムガル帝国における、ムスリムヒンドゥー教徒の融合

 

 スペインから、続いてヨーロッパ中から追放されたユダヤ教徒たちは、ガリラヤのサフェドにおいて新しい神秘主義を作り出した(コルドヴェロ、イサーク・ルリア)。

 14世紀から15世紀にかけて、西洋でもペスト、コンスタンティノープルの陥落、アヴィニョンの捕囚(ローマとアヴィニョン教皇の分裂)、大分裂等の危機が続き、既存の体制が信頼を失っていた。

 

・オックスフォードのドンス・スコトゥス

・トマス・ア・ケンピス『キリストのまねび』

 

 ルネサンス人文主義者たちは神よりもマリアや聖人、イエスをとりあげ、難解なスコラ哲学を批判した。

 宗教改革がおこった原因については、現代では諸説ある。

 ルターの影響がドイツ国内のみにとどまったのに対し、カルヴァンはより広範な影響を及ぼした。

 ツヴィングリはスイスにおいて、ルターに比較的近い主張を展開した。しかし教義をめぐって、ツヴィングリ派とルター派との内戦になり、本人は戦死した。

 ルターは元々カトリックからの分裂を目指してはいなかった。またかれは強烈な反セム主義者であり、また女性嫌い、セックス恐怖症であり、「すべて反抗的な農民は殺されるべきだと信じていた」。

 いずれの改革者も、イエスに立ち返り、神の絶対的尊厳を強調した。

 しかし、カトリックプロテスタントともに、聖書を字義通り解釈し(リテラリズム)、当時発展していた科学に反対した。このため、神は説得力を失い、後の無神論の誕生につながった。

 

 9

 啓蒙主義の時代には、産業と技術の発展にあわせて、神の観念も変質していった。

 啓蒙主義者たちの神の解釈は、それぞれ異なる。

 

パスカル……啓示の神

デカルトニュートン……哲学の神。デカルトは意識の中に神を見出し、ニュートンは神を機械工のような存在ととらえた。

ヴォルテール……理神論(Deism)。創造者としての神は認めるが、啓示や奇跡は否定した。

スピノザ……汎神論。ユダヤ教から破門される。神すなわち自然すべてであるという考え。

・カント……人間のための神

・クェーカー、メソディスト……汎神論的、理神論的。厳しく冷酷な神からの解放。

・アメリカの大覚醒……熱狂的な信仰。平坦で明瞭な神。

 

 一般に、西洋の信仰復興(リバイバル)は、激しい感情への志向を持っている。

 

・17世紀後半、ユダヤ教ではシャバタイがメシアを名乗り、熱狂的に支持された。ところが、シャバタイはスルタンに改宗か死かをせまられムスリムになってしまい、ユダヤ教徒の間に混乱を招いた。

 

 ユダヤ教徒は東欧でポグロムに見舞われていた。

 

・18世紀、ハシディズム(ユダヤ教的敬虔主義)が広がった。これは共同体と絆を重視し、希望的な信仰だった。

 

 イスラーム思想の変遷について。

・18世紀のワッハーブ……神秘主義に反対し、預言者とウンマイスラム共同体)の時代に回帰すること。反トルコ主義に基づく、オスマン帝国へのジハード。

 

 無神論の先駆者たちが西洋で生まれた。

デイヴィッド・ヒューム……神への懐疑

ディドロ……神の存在を疑い投獄される。

・オルバック伯爵……近代の無神論者の起源。

ラプラス……物理学から神を追い出した。

 

 ――ディドロー、オルバック、ラプラスは……より極端な神秘家たちと同じ結論に到達した。「かなたには」何も存在しないのだ、と。間もなく、ほかの科学者や哲学者が、神は死んだと勝利の宣言をしたのだった。

 

 10

 19世紀には、無神論が盛んになった。フォイエルバッハマルクスダーウィンニーチェフロイトなど。

 一方で、人間の想像力を重視するロマン主義も支持された。この時期の詩人はワーズワース、コールリッジ、ブレイクなど。

 シュライエルマッハーは、過度の合理主義を拒絶し、宗教の本質を「絶対依存の感情」と定義した。

 

ヘーゲル……神は人間と不可分に結びつく。

・ショウペンハウアー……神は作用していない。諸業無常が真理である。

キルケゴール……既存の教理や信条は贋物であり、真の信仰はそこから離れなければならない。

フォイエルバッハ……『キリスト教の本質』において、神は人間の投影に過ぎないと主張した。

マルクス……宗教は抑圧された者たちのため息、民衆のアヘンである。

ニーチェ……貧しいキリスト教から解放され、人間自身が自分たちの支配者になるべきである。仏教的な、回帰と再生という神話に立ち返るべきである。

 

 19世紀の無神論者は、神という迷信を捨ててより良い人間世界をつくることを目指した。しかし、ナチスニーチェヘーゲルイデオロギーを利用したように、「無神論イデオロギーも、「神」の理念と同様に残虐な十字軍的倫理に導きうる」ものだった。

 神を捨てるということには苦痛や混乱が伴った。

 

ドストエフスキー、マシュー・アーノルド、テニソン。神を待つ人間たち……「ゴドーを待ちながら」。

 

 イスラーム世界は西洋の従属的地位に落とされており、一部の為政者たちはイスラム教を切り捨て、西洋化を進めようとした。しかし、過度の宗教的抑圧は、強い反発、原理主義運動を生むものである。

 改革主義者たちは、多くが神秘主義的傾向(スーフィーやイシュラク神秘主義)を持っていたが、かれらは自由・平等・博愛の社会がイスラームの理想に近いことを発見した。またかれらは科学に肯定的であり、宗教と科学が共存可能であることを疑わなかった。

 キリスト教は苦難と逆境の宗教だが、イスラームは、成功者の宗教だった。イスラームの教えは社会を成功させ、ムハンマドの時代のように、大帝国をつくりあげるはずだった。

 

 ロシアでポグロムが発生した1882年以降、パレスチナへの移住を目指すシオニズムがおこった。これは若い社会主義者共産主義者を中心に進められた。世俗主義にもかかわらず、宗教的な用語を用いた。

 ホロコーストは、ユダヤ教だけでなくキリスト教においても、伝統的な神学を終わらせてしまった。

 神が虐殺を止められなかったなら神は無能で無益である。わかってて止めなかったならば、神は怪物である。

 

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 近現代の思想について。

カール・バルト

パウルティリッヒ

・ド・シャルダン

・ダニエル・デイ・ウィリアムズ……「プロセス神学」

ホワイトヘッド

・カール・ラーナー

・バルタザール

マルティン・ブーバー

アブラハムヨシュア・ヘシェル

ハイデガー

・ホルクハイマー

 

 1970年代以降、主要な宗教において、根本主義(ファンだメンタリズム)が勃興した。それは字義主義的で、不寛容で、政治的だった。根本主義は慈愛よりも神の敵を断罪することに熱心だった。

 著者によればこうした動きは神からの後退である。

 

 ――われわれは、慈愛こそが、「機軸の時代」に創造されたほとんどのイデオロギーの特徴であったことを見てきた。……あまりにもしばしば、慣習的な信仰者たちは攻撃的な自己義認の態度を持っている。かれらは自分たち自身の好き嫌いを支えるために「神」を利用し、それらを神自身に帰するのである。……歴史的唯一神論の神は犠牲ではなく慈愛を、高尚な礼典ではなく慈悲を要求するのである。

 

 著者は、根本主義を神の安易な代用品であるとして批判する。

  ***

 用語

 エン・ソフ……ユダヤ教の神秘神学カバラーにおける、神の不可知の本質。

 ケノーシス……自己をむなしくすること。

 シェキナー……ユダヤ教において神の現臨を意味する。

 タウヒード……神の聖なる統一。

 トーラー……モーセの律法。聖書の最初の五書『創世記』、『出エジプト記』、『レビ記』、『民数記』、『申命記

 ミシュナー……ユダヤ教の法典。タンナイームらによって編集されたもので、『タルムード』の基礎。

 ミツヴァー……戒律。

 

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

 

 

『神の歴史』カレン・アームストロング その3

 5

 イスラームの勃興について。

 アラブにはユダヤキリスト教が根付かず、部族の団結が主だった。部族は生き残りをかけて互いに抗争し、復讐の掟により安全を保障した。個人は部族に従属し、また男は責任をもって部族の弱者を保護した。

 しかし、クライシュ族ムハンマドは、商業的に成功し、メッカで生活する中で、古い部族のイデオロギーが解体していく危機を感じた。

 かれはユダヤ教キリスト教も知らなかったが、あるときヒーラ山で啓示を受けた。

 その後23年間にわたって啓示を受け、『クルアーン』(朗唱)にまとめられた。

 

・アラブ人たちは、ムハンマドの訴える神がヤハウェであることを知っていた。『クルアーン』における不信者(カフィール)とは、神に感謝しない者、神に対して恩知らずの者を指した。

・「イスラーム」の義務とは、平等な社会、貧しい者、弱者がまっとうに取り扱われる社会を創造することだった。よって、富は貧者に配分されなければならなかった。イスラームにおいては、神学的議論は「ザンマ」、不要な憶測として排除された。

アッラーは超越的、非人格的であり、この世のあらゆる部分にしるし(アヤト)として顕れる。その最大のものは『クルアーン』である。

ムハンマドらは、イスラームを弾圧しようとするユダヤ教徒クライシュ族からの防衛戦争を行った。やがてムハンマドアラビア半島を制圧し、礼拝の方向をエルサレムからカーバ神殿に変えさせた(キブラ)。

イスラームにおいては、アブラハムとその子イシュメールが重要視される。アブラハム、イシュメール(イスマーイール)がアラブ人の祖であり、また最初の預言者、純粋な一神教の実践者である。

イスラームの思想は社会的正義と平等だったが、時代を経て、ユダヤ教キリスト教と同じく、女性蔑視の解釈が主流となっていった。

・カラーム(神学)の発展について……クルアーンの教えを忠実に守るべきとする伝統主義者の他、合理主義を取り入れたムータジラ派、アシュアリー派、神の非人格性、超越性を強調するハンバル派が生まれた。

ムハンマドの甥アリーとその子孫を、指導者(イマーム)として信奉するシーア派は、もともと政治的に分裂した宗派だった。やがて、十二イマーム派イスマーイール派等に派生していった。

 シーア派の教えはアリーやイマームに神性を付与するもので、キリストの受肉と似た概念を持っている。神秘主義的傾向を持つため、インテリや貴族階級に支持された。

 

 6

 9世紀なると、ギリシア哲学がアラブ世界に輸入され、10世紀アッバース朝では科学や哲学が開花した。ファルサファー(哲学者)たちは、ギリシア哲学とイスラームを両立させながら、理論を発展させていった。

 焦点となったのは、ギリシア哲学の論理性と、神の存在との折り合いだった。

 

 代表的な思想家・哲学者たち:

・アル=キンディ

・アル=ファーラビー

イスマーイール派シーア派の分派)

・イブン・スィーナー(アヴィセンナ

・アル=ガザーリー……神秘主義への回帰。

・イブン・ルシュド(アヴェロエス)……12世紀の哲学者。かれの合理主義的神学は、西洋に大きな影響を与えた。

 

 イスラーム哲学は、中東のユダヤ教徒にも影響を与えた。

 12世紀、マイモニデスは合理的原理を用いて神を理解すべきと考えた。

 

 11世紀の第1次十字軍をおこなった西ヨーロッパの諸王国にとって、神は軍神であり、イエスは封建領主だった。かれらは領主を殺したユダヤ人に復讐するため、大量虐殺を行った。

 

・9世紀、西フランクのエリウゲナは東方神学をラテン世界に採用した。しかし、教義をめぐって東西は分裂していった。

 

 ――……論争が明らかにしたことは、ギリシア人とラテン人が神についてきわめて異なった観念を進展させつつあったということである。……あらゆる点で、多くの西欧のキリスト教徒は、本当には三位一体論者ではないのである。彼らは、1人の神のなかの3つのペルソナという教義が理解不可能であると不平を言う。まさにそれこそが、ギリシア人にとっては、最重要の点であったということに気が付かないままに。

 

・シトー派の修道院長ベルナルドゥスは十字軍に説教し、異教徒虐殺を扇動した。

トマス・アクィナス……13世紀、ギリシア哲学とアウグスティヌスの神学との融合を試みた。

フランシスコ会ボナヴェントゥーラ

・ダンテ・アリギエリ

 

 いずれの宗教においても、ギリシア哲学の神は、神秘主義によって克服された。

 

 7

 神秘主義は、神の人格化に対抗する動きという意味を持っていた。また、混乱と危機の時代には、神秘主義が人びとに受け入れられた。

 非人格的な、神秘主義的な神を求める傾向は、特にユダヤ教イスラーム教で盛んだった。

 西洋の宗教画は、信徒に教訓を与え、理念・教義を伝達するためのものだった。東方のイコンは、瞑想(テオリア)の焦点であり、神聖な世界への窓を提供した。

 イスラーム世界では、8~9世紀、宮廷の贅沢に反発した神秘主義者たちが原始的なムスリム生活に戻ろうと「スーフィー」運動を起こした。

 アル=ガザーリー神秘主義を正統と結びつけ、その後、12世紀には、スフラワルディやアル=アーラビーが哲学と神秘主義を結び付け、規範を確立した。

 スフラワルディはイシュラク(照明)神秘主義の祖となり、いまもイランで実践されている。

 アル=アーラビーは西洋にはその存在を知られなかったが、アラビア世界ではムスリム神秘主義的な神概念に大きな影響を与えた。

 12世紀から13世紀にかけて、多くのスーフィー教団(ターリカ)が設立され、教主(シェイク)が聖者としてあがめられた。

 

 イスラーム世界では、カリフ制が崩壊し、モンゴルがイスラーム王朝を滅亡させていた。同様に、非イスラーム圏のユダヤ教徒も、キリスト教徒による虐殺に直面した。

 こうした危機的環境においては、抽象的・思弁的な神ではなく、想像力と不安に訴える神秘主義的な神が求められた。

 カバリストは、セフィロート(数えること)の逆さの樹図を用いた。かれらは隠れた神を「エン・ソフ」と呼んだ。カバラーにおける最大の文献は、13世紀、モーゼスによって書かれた『ゾハル』である。

 西洋は東方正教イスラームよりだいぶ遅れていたが、14世紀には神秘主義の流行があった。

 エックハルト、大ゲルトルート、スーゾーなど。

 

 ――神秘主義は、脳髄的あるいは法律的なタイプの宗教よりもずっと深く心に浸透することができた。その神は、より原始的な希望や恐れや不安に語りかけることができた。それらの前では、哲学者の疎遠な神は無力であった。

 

 しかし、西洋では神秘主義は根付かず、宗教改革を通して、さらに合理主義的な言葉で神をとらえ始めた。

 [つづく]

 

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

 

 

『神の歴史』カレン・アームストロング その2

 3

 ユダヤ教から、キリスト教が派生していく過程について。

 ユダヤ教と同じように、キリスト教初期には様々な思想が林立していた。キリスト教は同時代の哲学から多くの要素を吸収した。

 

・イエスの存命中、またパウロの時代までは、イエスを神と同一とする考えは存在していなかった。

・イエスファリサイ派ヨハネの弟子だった。かれの言行資料の多くは、パウロ以後の諸教会において編集されたものである。

・かれは神癒者であり、「人からしてもらいたいと思うことは、人に対してもしなさい」という格言をもとに律法を教えていた。

 かれは、異教徒であっても「霊」を受けられると信じていた。

・イエスが神的な者だったという教義、すなわち「受肉」というキリスト教的信仰の発展は、4世紀になって確立した。

・イエスの神格化は、ユダヤ教イスラームだけでなく、他宗教でも見られた現象である。仏教では、衆生の苦しみを背負う菩薩が生み出され、ヒンドゥー教ではシヴァとヴィシュヌへの崇拝がおこった。

 「バクティ」(崇敬、信愛)は、宗教を人間化し、より多くの人に信仰を身近にするものだった。

 聖パウロは、「イエスがこの世界に対する神の主要な啓示者として、律法に取って替わったと信じた」。

 

 キリスト教は、特に異教徒やディアスポラたちの間で広まった。しかし、紀元後70年以降、ユダヤ教との対立が激しくなると、キリスト教の地位は貶められていった。

 キリスト教は、奴隷や下層階級に支持される危険な熱狂だった。それは新しく、邪悪なものだった。

 

・異教徒たちは、人生の意味の説明や、霊感を与えるイデオロギーや、倫理的動機付けを求めるときは哲学に向かった。かれらに言わせればキリスト教は野蛮な宗教であり、その神は人間に干渉を続ける残忍で原始的な神だった。

・新プラトン主義は、宇宙の根源たる「一なるもの」を理解することで、魂を解放することを目指した。

 

グノーシス主義は、次のように世界を認識する。認知不可能である「至高の神性Godhead」から、神を含む一切が流出し(アイオーン)ていると考えた。こうして充満(プレローマ)の世界が生まれたが、何かの間違いが闖入し、世界を堕落させ、このような悪の世界が生まれた。

 あるいは、物質世界を創造したのは、神に嫉妬した「デミウルゴス」(創造者)とされた。

 

 ――グノーシス主義者は、神的な閃光を自分自身の中に見出すことができるし、自らの内側にある神的要素に目覚めることもできるのだ。

 

・マルキオン、クレメンス、オリゲネス(去勢した人物)はグノーシス主義キリスト教を唱えた。そこでは神は、中東の残酷な神ではなく、静謐で、超人間的な、無感動な姿をとった。それは、ギリシア哲学における神の姿そのものである。

・サベリウスは、三位一体説の創始者である。

・3世紀のプロティノス……究極的実在である「一者」から、知性と魂が流出する。

 

 ――人間が絶対的なるものを思惟するとき、ひじょうに似たような考えや経験を持つように思われる。リアリティーに直面するときに感じる臨在感、エクスタシー、畏怖の念――それが涅槃、一者、ブラフマン、あるいは神と呼ばれようと――は自然であり、人間によって無限に希求される心と認識の状態であるように思われる。

 

・3世紀、グノーシス主義やアフリカの過激な宗派は追放され、中道のキリスト教が確立しつつあった。それは女性に対しても求心力があり、また多人種的、普遍的、国際的であり、組織化されていた。

 312年、コンスタンティヌス大帝がキリスト教徒となり、ローマにおいてキリスト教は勝利したが、やがて問題を抱えるようになった。

 

 ――すぐれて逆境の宗教であったキリスト教は、繁栄のなかでは最良のものにはけっしてなったことがないのだ。

 

 4

 キリスト教において正統の教義がどのように確立したか。

 4世紀、神のロゴス(言葉)であるイエスが、神なのか被造物なのかをめぐって、アタナシウスとアリウスは論争した(325年のニカイア公会議)。結果、神が無から世界を創造し、またイエス・キリストが創造主と同一であることが決められた。

 西欧キリスト教は口数の多い宗教となり、ギリシア正教は沈黙的な傾向を持った。

 東方の3人の博士は、神の本質が、3つのペルソナ……父、子、精霊となって顕現すると主張した。三位一体説は正教会では今でも広く普及している。

 

 ――三位一体のドグマのまさに理解不可能性そのものが、われわれを神の神秘に直面させるのであり、われわれが神を理解しようなどと望んではならないことを思い出させるのだ……。

 

 一方、西洋キリスト教に最大の影響を与えたのはアウグスティヌスである。かれの神学は、没落しつつあるローマの暗い雰囲気を色濃く反映していた。

 その負の特徴……人間を欠陥品として低く見ること、特に女性を性欲の権化として蔑視すること。

 ギリシア的受肉観は、キリスト教を東洋の伝統に近づけた。一方、西洋(ラテン)のイエス認識はより特殊な傾向を持った。

 三位一体説は、神の人格主義を超越するために必要とされた。それは、偶像崇拝の危険性を中性化する試みととらえることもできる。

 

 イスラームは、ギリシア的三位一体に馴染みのない中東及び北アフリカで爆発的に広がった。

 

 [つづく] 

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

 

 

『神の歴史』カレン・アームストロング その1

 本書は、ユダヤ教キリスト教イスラーム教を対象に、人間の神についての認識がどのように変遷してきたかをたどる。

 非常に分厚い本だが読んでよかったと考える。

 神、自分たちより超越的な存在という観念は、人間の歴史とともに常に存在してきた。しかし、「神」という言葉が示す定義は広く、時代、宗派によって全く異なる。

 

 人間は、自分たちに適合する、「うまく動く」、「神」の概念を作り続けてきた。

 一神教が、時代の情勢や、思想を導入しながら、神の認識を変化させていく過程が興味深い。神を求める人間の脳の働きは、一神教だけでなく仏教、ヒンドゥー教ギリシア哲学にも同様に見出されるものである。

 

 ◆メモ

 特にユダヤ教については、基礎知識がないために細かい教義を理解することができなかった。細部を知るためには、別に本を読んでいく必要がある。

 古代人がアブラハムの宗教を生み出し、以後、キリスト教イスラム教が普及したのは、人びとが公正、公平、慈愛のある社会を求めたからである。

 しかし、歴史において、しばしば宗教はゆがめられ、不正、不寛容と暴力の源となった。

 現代になり、特定の地域では、無神論無宗教が一般的となった。一方で、人間は心の空虚や荒廃、人生の無意味さに耐えられない。

 こうした精神の空白を埋めるために、排他的、攻撃的な根本主義が流行しつつある。

 

  ***

 1

 人間は、自分たちを囲む理解不能な世界を受け入れるために、創造神をつくった。農作物を司る大母神は、世界各地でみられる(アフロディテ、イシス、イシュタル、イナンナ)。神秘的な力はマナ、ヌミナ、ジンなどと呼ばれ、これが宗教の基礎となった。

 

 ――今日、宗教が無意味だと思われる理由の1つは、われわれの多くがもはや何か見えないものに取り囲まれて生きているという感覚をもっていないからである。

 

 神々の生活は、人間の模範となった。人間と地上は、神の世界のレプリカに過ぎなかった。

 メソポタミア神話は、一神教にも影響を与えている。

・聖なる都市(マルドゥクの君臨するバビロン)の存在

・人間は神からつくられ、かつては神性を持っていた

 

 旧約聖書では統一されているが、モーセの神ヤハウェと、アブラハムの神ヤハウェと、イサクの神、ヤコブの神が(当時は)別々の神であった可能性がある。

 ヤハウェは嫉妬深く冷酷な神だが、キリスト教徒はこの神を慈悲と大愛の神に変貌させた。

 古代において神は頻繁に顕現し、日常や夢に姿を現した。しかし後世のユダヤ教徒はそれをよしとせず、身近な顕現を採用しなかった。

 

 神は、シナイ山モーセと契約したとされる。しかし、契約概念は後世つくられたものであり、モーセの時代には多神教が一般的だった。ヤハウェはかつて戦争神の1つにすぎなかった。

 契約後も、バアル神をはじめとした異教信仰が続いたが、ヤハウェの預言者エリヤは彼らを非難し異教の預言者を皆殺しにした。

 

 ――これらの初期の神話的出来事は、ヤハウェ主義は最初から、ほかの信仰や宗教を暴力的に抑圧し否定することを要求するものだということを示している。

 

 ヤハウェの時代には、中国(儒教道教)、インド(ヒンドゥー教、仏教)、ギリシアにおいても宗教・哲学が発達した。

 

 ブッダの思想とニルヴァーナプラトンアリストテレスについて。

 

 ――ブッダは、言葉というものが観念や理性のかなたにある現実を取り扱うようには出来ていないということを示そうとしていたのである。

 

 ――……機軸の時代の新しいイデオロギーのなかには、人間の生は本質的で超越的な要素を含むという一般的な含意があった。

 

 2

 中東の様々な神から形作られたヤハウェが、やがてイスラエルの神として独自性を持つ。さらにユダヤ人たちが他の部族から隔絶していく。

 

ヤハウェは自分以外の神が存在することを認めなかった。

・預言者たちは、ヤハウェにおいて憐みの義務を見出した。神は弱者や被抑圧者のためにあり、また、イスラエルの民は、契約の責任をもって社会的正義を達成しなければならなかった。

ヤハウェは男性神であり、女性の地位は後退した。女性は劣等とされた。

ユダヤ教徒のような選民思想は、政治的不安定の時代、存亡の危機の時代に盛んになる。こうした時代には、非人格的な神ではなく、ヤハウェのような人格神が利用される。

・創世物語からは、異教の神が排除された。

・エゼキエル、ヨブなどの物語を通じて、神の観念が形成された。ユダヤ教は、知的思弁でなく、神からの直接的な啓示を重視した。

・紀元前3世紀には、ギリシア哲学の影響がユダヤ教にも及んだが、ユダヤ教は哲学と相いれない部分を持っていた。

 

 ――ユダヤ教徒たちはかれら自身の書物を出版し始め、知恵はギリシア人の賢さにではなくヤハウェへの畏れに由来するのだと論じた(知恵文学)。

 

フィロンは、ユダヤ教ギリシア哲学を融合させたが、かれは例外である。後に、ギリシア哲学はキリスト教にも影響した。

・紀元後1世紀には、ローマ帝国の四分の一はユダヤ教徒だった。古い宗教として尊敬されていたが、やがてローマ人から弾圧されるようになった。

エッセネ派クムラン教団……修道院スタイルの共同体において、ミツヴォット(戒律)を実践する宗派。

ファリサイ派……より大衆的で、家庭内であっても神への信仰を実践できるとする宗派。

 

 ――かれらは隣人への愛と慈悲の行為によって自らの罪を贖うことができるようになったのであり、慈愛こそが律法(トーラー)のなかで最も重要なミツヴァ(戒め)になったのだ。

 

 長老ラビ・ヒレルの言葉。

 ――自分にしてほしくないことは他の者にもするな。それが律法の全体だ。行って、それを学びなさい。

 

 ファリサイ派の共同体はタンナイームという学者を生み出した。かれらは『ミシュナー』……モーセの律法を時代に合わせて口承したものを編纂した。この『ミシュナー』への注釈が集積され、4、5世紀に『タルムード』となった。

 

 ――ヤハウェは常に、人間を上と外から導く超越的な神であった。ラビたちはヤハウェを人間のなかに、そして人生のもっとも詳細なことのなかに臨在するものにした。

 

ユダヤ教の神は、人間には理解不可能のものである。神の名前はYHWHと書かれるが、決して発音されない。

ユダヤ教では、神は内在する。慈愛と慈悲によって奉仕することは神を真似ることである。侮蔑、殺人は律法違反であり、自由である権利は重要である。仲間の人間に対する攻撃は、神に対する攻撃と同等である。

[つづく]

 

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)

神の歴史―ユダヤ・キリスト・イスラーム教全史 (ポテンティア叢書)