うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ドクトル・ジバゴ』パステルナーク

 ロシア人文学者パステルナークは、海外詩の翻訳者、詩人としても有名とのことである。本作『ドクトル・ジバゴ』はソ連において発禁となり、パステルナークはその後ノーベル文学賞を受賞したがソ連当局の反対により辞退させられた。

 物語は映画版とそこまで変わらないが、登場人物たちの思考が細部まで書かれている。

 無秩序と暴力のなかで生きようとする人びとが本作の主眼である。

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 日露戦争時代から始まり、社会が徐々に崩壊していくロシアの様子が描かれる。

 主人公ユーラやその家族を含めて、どのような宗教や思想を拠り所にして生きていくべきかを常に考えていた。

 ――……もし人間のうちに眠っている獣性を抑止できるものが、現世の牢獄であれ、死後の応報であれ、ともかくも脅しであるとしたら、人類の最高の鑑となるのは、自己犠牲の道を歩む伝道者ではなく、鞭を手にしたサーカスの調教師だということになる。ところが、ここで肝心なのは、幾世紀にもわたって人間を動物の上に立たせ、無限に高いところへまで導いてきたのは、けっして棍棒ではなく、音楽でこそあった、ということです。

 

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 第1次大戦はロシアの人びとの生活を変えてしまった。ジバゴも軍医として派遣され、革命により自宅に戻ってから、一家で地方に疎開することになる。

 各地の革命家、ボリシェヴィキ党員たちは荒唐無稽な哲学を振りかざし社会制度を転覆させていく。

 列車による旅の風景が描かれる。苛烈な赤軍の行為や、若い革命家との談話について。

 

 革命家ストレーリニコフについて。

 ――一方、善をなす人となるためには、彼はあまりにも原則的で、本来が無原則なものである心情に欠けていた。心情はもともと一般論を認めることがなく、あくまでも個別にこだわるものであり、小をなすがゆえに偉大なものなのだ。

 

 映画では学生時代からの革命運動家として描かれていたが、原作では個人的な信念から赤軍に参加した非党員である。

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 ジバゴはパルチザンと行動をともにし、凄惨な戦闘や拷問、発狂の風景を目にする。その後、ラーラという愛人と再会する。

 

ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)

ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)

 
ドクトル・ジバゴ〈下巻〉 (新潮文庫)

ドクトル・ジバゴ〈下巻〉 (新潮文庫)

 

 

『Moscow 1941』Rodric Braithwaite その3

 工場が閉鎖し、また食料配給も止まったため、労働者たちの不満が蓄積した。市から逃亡しようとする工場長や幹部たちを労働者がとらえ、車両や荷物を破壊し、市内に連れ戻した。

 市内の恐慌を知らされたスターリンは外出禁止令を発し、また工場や商店を通常通り営業させた。NKVDや自警団、警察の取り締まりによりモスクワの秩序が戻った。

 ベリヤはこのとき、多数の囚人を射殺した。数百人以上が処刑された。

 

 一方で、党幹部、科学者や理系学生、作家、芸術家たちの疎開は早くから始まっていた。アルマ・アタ、サマルカンド、アシハバード等、職能ごとに疎開が行われた。

 モスクワにはドイツ人が多数住んでおり、市民から尊重されていた。独ソ戦が始まると、かれらは強制移住させられた。

 

 11月までには200万人ほどがモスクワを離れた。

 秋が深まるにつれてドイツ軍の状況が悪化した。

 11月、スターリンは地下鉄において演説を行った。また、アルテミエフ(モスクワ軍管区司令官)、シニロフSinilovらモスクワ防衛の指揮官に対し、例年どおり11月7日革命記念パレードを行うよう命じた。パレードは成功し、市民と兵士は一体感を味わった。

 劇場や音楽会も、爆撃を恐れず平常通り実施された。こうした士気高揚は成功し、やがてソ連軍反撃の起点となった。

 

 本書においてジューコフは、スターリンの顔色を伺う狭量な指揮官として描かれている。

 STAVKAの高級軍人たちは、スターリンに歯向かうよりも、部下に無謀な命令を下すほうを選んだ。

 12月にはドイツ軍は完全停止し、赤軍の抵抗が始まった。それでも、全面的な反撃にはまだ戦力が不足していた。

 軍とNKVDによってパルチザン部隊の訓練が行われ、敵の後方、占領地で活動をおこなった。ゾーヤ・コスモデミヤンスカヤはドイツ軍に処刑されたパルチザンの英雄として、ソ連社会で度々取り上げられた。

 多くの成人が前線や工場に働きに出たため、1941年の犯罪の4割が子供によるものとなった。

 

 1942年初めのスターリンによる反撃命令はほぼすべて失敗した。しかし、ドイツ軍の進軍は停止した。その後、スターリングラードセバストポリ、クルスク、バグラチオン作戦と、赤軍はドイツ軍に対し勝利を重ねた。

 ドイツ軍の死者の7割以上が東部戦線だった。第2次世界大戦はソ連勝利だったとスターリンらが考えてもおかしくはない。

  ***

 モスクワの戦いは、ドイツ軍が無敵ではないことを証明した。

 スターリングラードレニングラードオデッサセバストポリが、英雄の街として名誉を与えられたのに対し、モスクワは、初戦の敗北、つまりスターリンの失敗と結びついていたため、その後も冷遇された。1965年、ようやくモスクワは英雄の街となった。

 ジューコフスターリンに危険視され、冷遇された。フルシチョフ時代に一度復権するが、またしても追放された。

 ロコソフスキーはポーランドの出自に目をつけられ、ポーランド統治を担当した。

 

 大戦におけるロシア人とフランス人との違いとして、マルク・ブロックは指導者を原因にあげた。フランスの指導者たちはパリを死守するという意欲に欠けていた。一方、スターリンは無慈悲な命令によってモスクワ死守を貫いた。

 本書によれば、「ロシア人たちは社会主義のためではなくロシアのために戦っているのだ」と、スターリンも認識していたという。

  ***

 ドイツ軍の侵攻と、スターリンの支配に苦しみながら生き延びたロシア人たちの災難は想像を絶するものである。

 それでも、かれらの一部は、独ソ戦時代が最も輝いていたとコメントする。

 ソ連崩壊まで生きた老人は、「われわれはみな勝利を信じていた。(ソ連の崩壊する)今日ほど、辛く、孤独に感じたことはない」と嘆いた。

  ***

 ◆メモ

 ヒトラーの失策(作戦に口を出す)も有名だが、スターリンも負けず劣らず、間違った戦争指導を連発している。それでも最終的に勝利したのは、何が原因だろうか。

・動員能力、生産量

・同盟国からの支援

・気候

赤軍の能力

・ドイツ側の失敗

 

 ※ コーカサス史に関する本『The Ghost of Freedom』では、同民族であるグルジア人のひとりが、スターリンに関して次のようにコメントしている……「スターリンコーカサス人らしさはない。かれは家族や友人を大切にしないし、自己の責任から逃げ、失策を人に押し付ける恥知らずだからだ。またかれはコーカサスに何の利益ももたらさなかった」

Moscow 1941: A City & Its People at War

Moscow 1941: A City & Its People at War

 

 

『Moscow 1941』Rodric Braithwaite その2

 正規軍に加えて、大量の義勇兵が徴発された。多くの男女学生、農民、映画関係者、文学者たちが義勇兵として戦争に参加した。

 しかし、モスクワにおいてはその大多数が志願であり、だれもが前線に行きたがった。

 従軍作家シモノフは、前線の様子が、かつてのノモンハンとは全く異なることに唖然とした。ソ連軍の飛行機は次々撃墜され、兵隊は虐殺され、軍はドイツ軍に対してみじめに負けていた。

 しかし、かれは事実を公表することができず、善戦ぶりを褒めたたえる記事を書いた。

 

・体育学生たちは特別な部隊に召集され、特殊部隊としての訓練を受けた。かれらは高い水準の練度を維持したため、結果的にその他の義勇軍よりも長生きした。

 多くの義勇軍は、貧弱な装備と低い能力のまま前線に送られ、ドイツ軍に殺戮された。

・女性は看護婦としてだけでなく、兵士、パイロットとしても活躍した。女性パイロットの活躍は特に顕著であり、ソ連邦英雄になった女性が多数いた。

 同時に、女性たちは戦場で性的欲求の対象となり、セクハラ、暴行、性的搾取が蔓延した。

・作家、映画関係者、芸能関係者、音楽家たちは、プロパガンダ活動に従事するか、または塹壕を掘った。

 工場は24時間体制で稼働した。

スターリンは軍人たちを厳しく取り締まった。政治委員、NKVDによる専門督戦隊、懲罰部隊を編成し、指揮官から兵隊まで、まんべんなく処罰した。

 

 多くの高級軍人が失敗、無能、臆病、または不運のために逮捕され処刑された。包囲された者は、人間の盾になるのを防ぐため、家族も呼ばれて処刑された。捕虜になった者は裏切り者として処刑された。

 命令270号、命令227号を根拠に、各部隊に懲罰部隊が作られた。部隊はさまざまな規律違反者によって構成され、危険な前線に送られた。

 モスクワの防空態勢構築に関しては、当初はレニングラードを参考にしようと考えられた。しかし、冬戦争におけるフィンランド空軍の攻撃は微力だったため、あまり参考にはならなかった。

 英仏を参考に、地下シェルター、空襲警報、建物のカモフラージュ、灯火管制等が整備された。

 英本土空襲とは異なり、ドイツの空爆は小規模だった。これは、ロシアの諸都市まで距離があったこと、滑走路の質が悪かったことによる。それでも、モスクワだけで2000人以上が死んだ。
 スターリンはモスクワの防空態勢を確保するために、前線に多大なコストを強いた。やがて、赤色空軍がドイツ空軍に対し優勢に立った。

 

 3

 モスクワ防衛線の指揮はSTAVKA(ソ連軍総司令部)およびGKO(ソ連国家防衛委員会)がとった。

 1941年10月、ドイツは赤軍の防御を突破し、包囲を行った(ドイツによる「タイフーン作戦」)。

 ヴァジマ、モジャイスクといった都市がドイツ軍に包囲され、陥落していった。

 スターリンは当初、包囲の報告をした将軍と偵察パイロットを虚偽としてNKVDに逮捕させようとしたが、事実と判明すると、当該将軍は昇任した。

 

 多数の義勇兵が前線に送られ、大量死した。

 ドイツ軍がモスクワに接近するにつれて、市内でもパニックが起こった。NKVDは、スターリン直接の命令により敵占領後の抵抗活動を準備した。また、一部の技師はスターリンのための秘密の地下壕を郊外に建設した。

 後年、秘密の地下壕は観光名所となり、訪れる人は「建設者が口封じのために全員射殺された」という伝説を信じた(事実ではない)。

 [つづく] 

Moscow 1941: A City & Its People at War: A City and Its People at War

Moscow 1941: A City & Its People at War: A City and Its People at War

 

 

『Moscow 1941』Rodric Braithwaite その1

 ロシア・ソヴィエトの首都であるモスクワと、その住民、また政治家や軍人を中心に、かれらがいかにドイツ軍の侵略に耐えたかを説明する。

 当時のモスクワの様子が細かく書かれており、知らなかった情報が多数含まれていた。

 

 この本は、中国を旅行している最中に外国人旅行者からたまたまもらった。


 1

 地勢と成り立ち。

・モスクワは要塞都市として生まれ、近代に入るまで、ほとんどが木造建築だった。19世紀、大都市になってからも、住民のほとんどは農民出身だった。やがて工場労働者が増加し、併せて社会不安も増大していった。

・ナポレオンの侵攻の際には、焦土作戦により市中を焼き払うことで、フランス軍の拠点化を防いだ。

・1917年の革命によってモスクワはボリシェビキたちに制圧された。以来、モスクワの共産党支部とソヴェト委員会は、将来のリーダーが務めるポストとなった。

 革命後も、モスクワは大きな村といってよかった。

 農家や畜舎があるだけでなく、人びとはお互いに顔見知りで、強い共同体が形成されていた。党は邸宅や集合住宅を住民に割り当てたが、住宅不足が深刻であり、不遇の人びとは職場や階段の下、屋根裏などに集住した。部屋を手に入れた者も、数家族が合同で生活することになった。

 ロシアン・マフィア「法の泥棒」についても言及されている。

 

 文化と教育

 30年代は、大粛清という負の側面がある一方、教育や文化の振興が進んだ時代でもあった。

 青年は高等教育機関に進み、学問を学んだ。また、当時の児童生徒はほぼあらゆる欧州の古典に触れることができた。

 芸術……作家や画家は党への奉仕を強いられた。映画はスターリンが好む芸術の1つだった。

 

 赤軍

 独ソ戦にいたるまでの赤軍の経緯が説明される。

 赤軍は内戦を通して手に入れた貴重な将校たちを大粛清で失った。その結果は冬戦争の失敗であらわになり、スターリンは軍の改革と、失脚した将校の復帰を命じた。

 ロコソフスキーは逮捕され歯を8本失ったが、処刑前に解放され再び要職についた。面会時、スターリンは拷問のことなどなかったかのように、将軍に対し「久しぶり」と声をかけた。

 スターリンの偏執狂的な意志に従い、大粛清を主導したエジョフは、いけにえとして処刑された。

 陸軍が過酷な拷問と処刑にみまわれる一方、空軍とパイロットはスターリンのお気に入りであり、英雄としてもてはやされた。

 スターリンは対独戦の可能性を見落としていたわけではない。かれは対独戦の時期をひきのばしつつ軍備強化に努めていたが、英仏が予想以上に早く大陸から駆逐されたことで、ドイツの侵攻時期を見誤ったのだった。

 

 2

 GRU(赤軍参謀本部情報総局)、軍高官(ティモシェンコジューコフら)は1941年6月22日のドイツ侵攻を察知していたが、スターリンは取り合わなかった。

 当日の朝に多数の兵や将校が家族もろとも死んだ。第1次大戦時代の兵器を寄せ集めた予備役の部隊がすぐに撃破された。このとき、多数の軍人が休暇をとっていた。

 軍最高首脳や、国境配備の指揮官たちは、態勢強化を申し出ていたが、ドイツを刺激するとして、スターリンに拒否された。

 モスクワ市民の多くは、戦争が始まったというモロトフの演説放送を聞いても実感がわかなかった。

 スターリン赤軍前線が崩壊していくとの報を受けて、数日間ダーチャ(別荘)に引きこもった。これは、スターリンの失策に乗じて権力を掌握しようとするものがいないか、部下たちの忠誠心を試したと考えられる。

 7月3日、スターリンは初めて演説放送を行った。

 かれは、ドイツが条約を破り不意打ちしたことを認め、また、ナポレオンやドイツ帝国と同じように、ヒトラーもロシアを打ち破ることはできないと主張した。

 この演説は独ソ戦の最初の転換となった。赤軍は態勢を立て直し、ドイツ軍の侵攻を一部で押しとどめていた。

 

[つづく] 

Moscow 1941: A City & Its People at War

Moscow 1941: A City & Its People at War

 

 

 

『短篇集 死神とのインタヴュー』ノサック

 ハンブルク空襲の最中に、若い軍人に助けられた女の話。語り手は、女から軍人本人または軍人の親類ではないかと勘違いされる。

 ――大きな激動の時代には、われわれはみんな互いに似通ってくるのだろうか。あるいは、こういう時代には、個々人のもつ考えが壊れた境界線を踏み越えて、共通の場へ出てゆくのだろうか。そしてそこで、遅かれ早かれ、同様にひどい目にあったほかの人から生まれた考えと出会う。こうして共通の運命を体験したことを確認しあう。

 

 カサンドラ

 アパッショナータ

 死神とのインタヴュー

 町に潜む死神家族との会話。死神の男は町をうろつき、通りかかった子供を交通事故で死なせてしまう。語り手の作家Nはなんてひどいことをするのか、と思う。

 

 童話の本

 海から来た若者

 実費請求

 クロンツ

 

 滅亡

 ハンブルクの空襲を目撃した記録。ノサックの作品のなかでも有名なものらしい。連合軍の空襲によって大量の市民が殺戮され、生活基盤が破壊された。人びとは焼け出され、市内から逃げ出してきたが、やがてまた戻っていく。

 実際に見聞した内容に基づいているようだ。

 市民のなかで、敵軍に対して恨みを抱くものはほとんど皆無だった。かれらは、何もできない無力な国と政府を恨み、また、国に対して何事かを期待していた自分たちを軽蔑した。

 自分たちの生命と生活を破壊された人びとに対して、何か指導的な言葉を投げつけることが果たしてできるだろうか。

 

 オルフェウスと……

  ***

 オデュッセウスや神話を題材にした数編をのぞいて、ほぼすべての話には戦争が関わっている。空襲や戦争のために翻弄された人びとだが、完全に人生をあきらめているわけではない。 

 

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)