5 戦争のマクロ経済への影響
イラク戦争後、原油価格が上昇し、アメリカの貿易赤字は悪化した。戦争が経済にとってプラスであるとする考え方を支持する専門家は、今日ほとんどいない。
戦争のために使われたコストは、その他の分野とは異なり、経済の発展には貢献しないのである。
スティグリッツの見積もりでは、マクロ経済全体での損失は1兆ドルを超える。
アメリカは石油のために侵略した、という説は多くみられるが、この目的に関してアメリカはみじめに失敗している。戦争の真の受益者はエクソンモービルのような一部の石油会社だけである。
戦争に伴う原油価格上昇の影響について分析がなされる。
アメリカの官民が産油国により多く支払うということは、その分アメリカの商品を買わなくなるということであり、アメリカの経済が縮小することを意味する。戦争に投入された公費のコストは、他の分野に投資した場合の影響をもって予測される。
大幅な財政赤字と軍の過剰な展開は、ローマ帝国の末期に似ていると米国首席会計監査人がコメントした。
イラク戦争後の世界各地の治安の悪化、また合衆国に対する怒りや不信が、ビジネスや経済に影響を与えている。
6 世界への影響
イラクは侵略によって甚大な被害を受け、大量の難民を流出させた。このため近隣諸国……シリア、ヨルダン、エジプト、レバノンなども経済的な負担を被った。
医者の数は開戦前の半分以下に減った。国民の健康状態が悪化し、コレラが蔓延した。
コレラの蔓延は、水道などのインフラが壊滅したためである。コレラはイラクはおろかアジアでもめったに発生しなかったが、2007年には潜在的な感染者は3万人以上となった。
イラクの犠牲者を測定する……ジョンズ・ホプキンズ大学の研究者が行った予測によれば、2010年時点で死者100万人超、負傷者200万人超になるという。これに対し、イラクが侵略されなければ毎年1万人が経済制裁によって死んでいたと想定される。
占領初期の経済政策も、イラクの状況を悪化させた主因である。
ブレマーは占領後間もなく、関税の撤廃と国営企業の民営化を推進したが、占領国による国家資産の売却は国際法に反する行為である。予想通り多くのイラク企業は海外製品に勝てず閉鎖され、大量の失業者を出した。
合衆国の契約業者依存もイラクの失業率を増大させた。
イラクの現地業者であれば500万ドルでできる警察署の塗装を、アメリカ人業者は2500万ドルで行った。
軍隊が消滅し、武器を持ったまま失業したイラク人青年の多くは反乱勢力に勧誘されていった。
イラク戦争の最大の敗者はイラクと合衆国だが、損害は「有志連合」やグローバル経済にも及んだ。
アフガンはタリバン政権崩壊以後、ヘロインの世界最大輸出国となり、内戦による死者数は増大した。
退役海軍中将・民主党議員セスタックSestakによれば、米軍はアフガンを安定化させる前に、テロの脅威のないイラクに戦力を振り向けてしまった。
実質的に、ただ1つの同盟国だったイギリスは大幅に戦力を削減した。兵士たちの劣悪な環境や、軍病院のずさんな運営が明らかになり、将校を中心に退職者が続出した。
イラク戦争でアメリカが得た利益はほぼゼロだが、世界経済にもその損害は広がった。
ヨーロッパ諸国や日本など産業国が、原油高により被った被害額は100兆ドルと見積もられる。
一方受益者である産油国……イラン、ベネズエラ、サウジアラビアもその黒字を兵器に使ったため、世界レベルでのGDPは低下した。
結論として、イラク戦争は世界の生産高を減少させた。
イラク戦争によりアメリカへの信頼は大きく低下したが、これは国際規模の問題……温暖化やエイズ、貧困等を解決するためのリーダーシップの欠如につながるだろう。
7 イラク撤退
2008年時点の議会や世論では、いつ撤退するか、ということだけが話題になっているが、専門家の見方ではいつ撤退しようともその後は治安の悪化が待っているとのことだった。
撤退した暁には、アメリカ国民のほとんどは、イラクだけでなく世界中での厄介ごとから解放されたいと思うかもしれないが、さまざまな国際問題において合衆国は不可欠な要員である。
イラク駐留継続論の欠陥:
- アメリカの威信が低下する……5年経ち目ぼしい成果はなく、既に威信は低下している。さらに2年間残ればますます低下するだろう。
- 死んだ兵士たちが報われない……経済学におけるサンクコストの概念を適用する。死んだ者たちは帰ってこない。これ以上若者を死に追いやるべきではない。
- イラクを破壊したのだから直すべきだ……5年間でまったく再建することができていない。
ブッシュ政権は、より小さな目標を設定し、この達成をもって名誉ある撤退をしようと考えている。しかし、イラクには米軍の駐留を望む勢力もあるため、うまくいかないだろう。
ブッシュは自分の代で撤退を指示することはないだろう。それは、自身の決断の失敗を意味するからである。
意思決定者は自分の決定に見合ったコストを支払わない。ブッシュは自身の軍事的冒険を続けて、運が良ければ歴史的な名声を得ることができるかもしれない。代償を支払うのは戦死者やイラク人であり、ブッシュが直接死ぬわけではない。
アメリカの誤算……敵を1人殺せば反政府勢力はその倍となった。フセイン時代にはまったく浸透していなかったアルカイダが大きな勢力となった。アメリカは占領軍となった。
どんな地域・国でも、自由のため占領軍と闘うことは崇高なものとされる。
既にイラク戦争は、勝利か敗北かという戦略的な次元にはない。いつ撤退すべきかという戦術的問題である。そして、早ければ早いほど被害は少なくてすむのである。米軍撤退の後に、イラクの状況が良くなるのか悪くなるのかという疑問はそのまま残るだろう。
8 失敗から学ぶ:未来のための改革
根本的な欠陥……合衆国議会と国連におけるチェックアンドバランス機能の不全をあげている。
建国の父たちは行政権力の暴走をよく認識しており、政府の基本を抑制と均衡(Check and balance)に置いた。
ブッシュ政権の共和党は議会の多数を占めており、政権はフセインに関する脅威情報をコントロールすることができた。議会は、この情報に反論する術をもたなかった。
また国連は、自衛権の行使と安保理の承認時に限り武力行使を認めているが、合衆国は国連の承認を得ずにイラクを侵略した
。
イラク戦争の失敗に学ぶ改革案は2つのコンセプトに分けられる……戦争に関する情報を有権者と政治家がしっかりと入手できるようにすること、兵士と退役軍人家族のケアの改善である。
以下、箇条書きでの具体策が続く。
- 戦争は臨時予算で賄われるべきではない。
- 戦費調達は戦略的な検討を受けて行われるべきである……政権は、なぜ2年間も臨時予算を使う必要があるのかを議会に説明するべきである。
- 行政府は戦争の全体コストを提示すべきである。
- 国防総省は監査可能な会計を提示すべきである。
- 政府と議会はマクロ経済への影響を算出し示すべきである。
- 政府は議会に対し、情報取得手続きが変わった場合通知すべきである(情報公開の強化)
- 議会は戦時の契約業者をより厳正に監督すべきである。契約業者への依存は、コスト増大、戦争法規からの逸脱、国民の当事者意識の不足といった状況を生み出した。
- 予備役と州兵の長期派遣の規制
- 戦費は将来世代でなく現役世代が担うべきである。国民の負担は人的にも金銭的にも軽くなり、容易に戦争に踏み込める状態にある。
- 傷痍軍人の申請義務は兵士ではなく政府が負うべきである。
- 退役軍人福祉は正規の予算として扱われるべきである。
- 退役軍人手当の信託ファンド設置
- 海外派遣された予備役・州兵への手当強化
- 退役軍人の利益を代表する機関の設置
- 特にPTSD手当申請手続きの簡素化
- 優先度8(最も軽度の障害)退役軍人手当の復活
- 現役から退役軍人へのシームレスな移行
- 退役軍人の教育補助の増加
戦争は軽々しく行えるものではない。戦争は敵の戦闘員だけでなく、不運な民間人もまた殺害するものである。
イラク戦争では「コラテラル・ダメージ」と称される、非戦闘員への被害が、数万人の民間人の死、200万人の国外難民、さらに200万人の国内難民となった。
ひとたび始まれば戦争は無数の男女を殺し、障害者を生み、そのコストは後々まで続く。
その後
本書の印刷とほぼ同時期、バグダードの基地で、グリーンベレーの兵士がシャワー室で感電死した。工事を請け負った業者は責任を否定しており、この兵士の遺族が受け取った弔慰金はわずか5000万円である。
PTSDは著者らの予想を超えて広がっている。その最大の理由は、イラク戦争に前線の概念がないことである。兵士たちは自分の内務班で自爆テロの被害に遭い、またシャワー室で感電する。
兵士の募集活動は困難になり、陸軍、海兵隊は入隊基準を下げた。犯罪歴を持つ者の採用は、以前と比べて2倍になった。2007年入隊の陸軍兵は18パーセントが前科者である。
KBR(ハリバートンの子会社)やブラックウォーターといった大規模軍事会社による契約スキャンダル、その他大量のずさんな調達が全米でスキャンダルとなった。
退役軍人向け医療プログラム担当者のメールが流出し、PTSD関連の申請をなるべく却下するよう指示が出ていることが明らかになった。
まとめ
国民には自分たちの払っている税金がどう使われているかを知る権利がある。また政府が何をしているか知る権利がある。