うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Yugoslavia: Death of a Nation』Laura Silber その2

・1991年3月

 セルビアの野党ヴク・ドラシュコヴィッチVuk Draskovicは、ミロシェヴィッチの独裁に反対し、ベオグラードにおいて大規模なデモを扇動した。

 ミロシェヴィッチとヨヴィッチは、警察にデモを阻止させた。このとき17歳の学生が殺害された。これに反対する学生デモが発生すると、ミロシェヴィッチらはJNAを動員した。

 JNAはユーゴスラヴィアの統一と安定を目的としており、あくまで憲法に基づいて行動することを理念としていた。ミロシェヴィッチは、JNAをセルビアの拡大に利用しようと考えた。

 ミロシェヴィッチの敵……コソヴォアルバニア人クロアチア人、スロヴェニア人、セルビア人の反対派。

 国家の非常事態state of emergencyを宣言するかどうかが、連邦幹部会の争点だった。

 クライナ地方のセルビア反乱軍は独立を宣言した(Serb Autonomous Province of Krajina)。

 

クロアチアセルビア

 1991年の春までに、ミラン・バビッチ、ミラン・マルティッチMilan Marticらを指導者として、クライナ・セルビア反乱が拡大した。

 セルビア人勢力は、西スラヴォニアSlavonia(クロアチア東部)のパクラッチPakrac、イストリア地方IstriaのプリトヴィツェPlitviceを立て続けに制圧し、クロアチア警察軍がこれを攻撃した。

 ミロシェヴィッチの指示により、JNAはセルビア人勢力を保護するために出動した。プリトヴィツェの戦いが、本格的な最初の交戦となった。

 一連の闘いは各地のセルビア人勢力による蜂起を招いた。サラエボのSDS(Serbian Democratic Party)指導者ラドヴァン・カラジッチRadovan Karadzicはセルビアによるクライナ自治区併合を主張した。また、スラヴォニア地方のセルビア民主党員もセルビアへの併合を唱えた。

 

 過激派の台頭……5月上旬、ヴコヴァルVkovar近郊のボロヴォ・セロBorovo Seloでクロアチア人警察とセルビア民兵の交戦があり、クロアチア人12人が死亡した。かれらは目をえぐられる等の拷問を受けて死んでいた。

 HDZ(クロアチア民主同盟)の過激派ゴイコ・シュシャクGojko SuSakや、セルビア超国家主義者ヴォイスラフ・シェシェリVojislav Seseli等が活動を始め、自民族の穏健派をもまた殺害した。

 ミロシェヴィッチもトゥジマンも、既にユーゴスラヴィアに見切りをつけていた。そして両者とも、ボスニアを自国へ分割編入しようと考えていた。

 

・聾者の対話

 連邦幹部会は機能不全に陥った。クーチャンとトゥジマンは、お互いに分離独立に向けて協力することに合意したはずだった。しかし、いざスロヴェニアが独立するときに、トゥジマンは相互防衛を拒否し、怒りを買った。

 スロヴェニアに比べ、クロアチアは独立の準備がまったくできていなかった。

 合衆国のベイカ国務長官James Bakerは、どっちつかずの態度を示すだけだった……独立は認めないが民族自決は尊重する、しかし武力の使用は懸念する。

 

 3 勃発

スロヴェニアのまやかし戦争Phoney War

 1991年6月25日、スロヴェニアクロアチアは独立を宣言した。JNAは当初、スロヴェニアの国境地帯の安全を確保する名目で2000人程度が出動した。指揮官はスロヴェニア人のコンラート・コルシェクKonrad Kolsek将軍だった。

 スロヴェニアとJNAは国境付近で対立し、その後、スロヴェニア軍がJNAのヘリコプターを撃墜し、乗員は死亡した。

 EU首脳は、ミロシェヴィッチとクーチャンとの間で仲介を務めたが、EUには事態を一時停止させる力しかなかった。

 7月にはJNAが44人の戦死者を出して撤退し、スロヴェニアの独立が確定した。これはスロヴェニアと、死に体のユーゴとの戦争であり、後に続く2つの戦争とは異質だった。

 

 ――(スロヴェニアの勝利は)和平仲介者が決して思い至らなかった教訓をヨーロッパに教えた。戦争は、時にきわめて合理的なだけでなく、特に勝利が確実なときには、目的を達成する唯一の手段でもある。

 

 仲介者たちは戦争の愚かさを訴えれば説得できるだろうと考えていた。

 

クロアチアのJNA

 1991年夏から、宣戦布告なしにクロアチアセルビア戦争が始まった。

 ミロシェヴィッチは、ユーゴスラヴィアの領域を、セルビア系住民の居住地を含むと解釈した。こうしてJNAは、大セルビア主義のための軍隊に変質した。

 トゥジマンは最後まで武力行使に反対したため、国防相シュペゲリは辞任した。

 クライナ・セルビアでは、マルティッチの民兵と、JNA中佐ラトコ・ムラディッチRatko Mladicが共同で民族浄化を開始した。セルビア勢力とJNAは、キリェヴォKijevoやヴコヴァル等で砲撃を開始し、クロアチア人の追い出しと占領を始めた。

 クロアチアも反撃を開始し、ゴスピッチGospicではJNAの駐屯地を制圧し指揮官を殺害した。各地でJNAに対する包囲と重火器の鹵獲が行われた。

 アントン・トゥスAnton Tusはクロアチア参謀総長として軍を建て直した。

 9月からヴコヴァルを中心に戦闘が続いたが、JNAは、装備の貧弱なクロアチア防衛隊を破れなかった。新指揮官パニッチPanicが現場を確認したところ、セルビア・ユーゴ側の指揮系統が混乱しており、兵隊たちはだれが自分の上官かもわからない状態だった。

 また、JNAの徴募兵の士気が低いため、民兵と志願者だけを残して後送した。

 

 11月にクロアチア側が撤退し、JNAがヴコヴァルを占領した。その際に多くのクロアチア人男性が拉致・殺害された。JNAは、「解放された町」において海外メディアを案内した。

 路上には虐殺されたクロアチア人と思しき市民の屍体が並んでいたが、セルビア側はこれはセルビア人だと主張した。

 

 ――(並べられた屍体を)どうやってセルビア人であると知ったのかと聞かれて、かれ(JNA将校)は肩をすくめた。


 10月、モンテネグロ方面のJNAが観光都ドゥブロヴニクを攻撃した。城壁やボートへの砲撃は国際的な非難を浴びた。

 1992年9月、JNAはクロアチア人地域から撤退した。そのときにはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が始まっており、セルビアクロアチアはお互いにボスニアを分割する点で意気投合していた。

 11月、国連平和維持軍の駐留が決まり、トゥジマン、ミロシェヴィッチ双方が同意した。トゥジマンは紛争を国際化することに成功し、ミロシェヴィッチクロアチアの三分の一を占領した状態を維持することができたからである。

 

・キャリントン卿の計画

 EC(欧州共同体)から派遣されたキャリントン卿は、ユーゴ和平案を提案した。それは、各独立共和国によるゆるやかな連合であり、少数民族の権利を認めるというものだった。

 しかし、セルビアはキャリントン案に同意しなかった。ミロシェヴィッチは、セルビア国外のセルビア人区域を併合し、またユーゴスラヴィアの継承国家となろうと考えていた。

 また、かれはクロアチア内のセルビア自治を認めることが、セルビアコソヴォアルバニア人自治を認めることになるとも考え、これを許容しなかった。

 コソヴォセルビア人のナショナリズムによって権力基盤を固めたミロシェヴィッチに、アルバニア人自治を認めるような案は許容できなかった。

 国連のヴァンスVanceはPKOによるクロアチア領内の治安維持を提案し、セルビアはこれに賛成した。

 モンテネグロのブラトヴィッチ首相Bulatovicは、戦争を終わらせるためにキャリントン案に賛成したが、ミロシェヴィッチモンテネグロ国民は激怒し、間もなく首相の座を追われた。

 

 和平を目指す動きの中、ドイツのコール首相Helmut Kohlとゲンシャー外相Hans-Dietrich Genscherが、他の欧州諸国の合意なしにスロヴェニアクロアチアの独立を承認したために、キャリントン提案は崩壊した。

 独立を求める国がそのまま承認されたことで、独立した者勝ちの状況が生まれた。

 ボスニアは、独立を選択し内戦になるか、コソヴォかヴォイヴォディナのようにセルビアに隷属するかのどちらかを選ぶしかなくなった。

 クロアチアをめぐっては、セルビア人支配地域を国連保護地域UNPA(United Nations Protected Area)にし、JNAを一時撤退させる案に、クライナ・セルビア自治区のバビッチが反対したため、ミロシェヴィッチによって失脚させられた。代わって、ヴコヴァルのSDS幹部ゴラン・ハジッチGoran Hadzicが大統領となった。

 

 4 ボスニア

・洪水delugeの前

 ボスニアでは1991年以降、各民族間の緊張が高まっていた。共産主義政党が敗北し、イゼトベゴビッチのSDA、カラジッチのSDS、クリュイッチKljuicらのHDZボスニア支部が各民族の票を争った。

 セルビア人はユーゴ残留、つまりセルビアとの統合を望んだ。ボスニアクロアチア人は伝統的に過激主義的であり、大クロアチアの達成あるいは自治共和国の成立を望んだ。ムスリムは、ボスニアにおける中上流階級を占めており、セルビア支配の下での二級市民となることを拒否した。

 1991年10月、イゼトベゴビッチが独立を決定すると、カラジッチはムスリムを殺すと議場で脅迫した。

 ミロシェヴィッチボスニアのJNAをボスニア出身者で固め、ボスニアセルビア人の軍隊に変質させた。

 

地獄の門

 (民族を問わず)多くのサラエボ市民は、カラジッチをモンテネグロ出身の田舎者セルビア人であると見下していた。

 1992年4月5日、比較的民族融和の文化が浸透していたサラエボで、内戦に反対する市民がデモ行進を行った。セルビア民兵がこのデモに発砲し死者が出た。ボスニアの内戦が開始された。

 6日、ボスニア独立がEUに国家承認されると同時に、カラジッチはスルプスカ共和国Republika Srpskaの独立を宣言した。

 サラエボにおいて、セルビア民兵は丘の上の警察学校・武器庫を占拠し、高層ビルには狙撃兵を配置した。

 セルビア国境のズヴォルニクZvornikにはJNA、セルビア内務省の特殊部隊、シェシェリのさそり部隊、アルカン・タイガー(アルカンの民兵)が侵攻し、制圧とムスリム人の追放・殺害を行った。

 カラジッチとクライシュニクkrajisnikはサラエボの分割計画を立てた。

 

・イゼトベゴビッチの誘拐

 1992年5月2日、サラエボ空港でイゼトベゴビッチがJNAに拉致された。この凶行は失敗し、大統領は解放された。しかし、かれはJNAが中立でないことを痛感した。

 JNA参謀総長アジッチAdzicは、非セルビア系の将校をボスニアから退去させ、ベオグラードに忠実でないボスニア師団のクカニャチKukanjacを更迭し、ムラジッチを配置した。

 JNAの一部は、セルビア人勢力に装備を引き渡して撤退した。

 国連の司令官マッケンジーMacKenzie将軍はサラエボが凄惨な戦場と化していることに気が付いた。

 [つづく]

 

Yugoslavia: Death of a Nation

Yugoslavia: Death of a Nation

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『Yugoslavia: Death of a Nation』Laura Silber その1

 ◆所感

 ユーゴスラヴィア内戦を、連邦解体からボスニア紛争終結までたどる。紛争の概要や経緯をよく理解することができた。

 内戦の非常に大雑把な経緯は以下のとおりである。

 

ユーゴスラヴィア連邦のうち、最大国であるセルビアミロシェヴィッチの指導の下他の加盟国に対する統制を強化していく。

 ↓

・経済的に発展していたスロベニア、強力な民族主義の根付くクロアチアセルビアに反旗を翻す。

 ↓

 クロアチア領内にいたセルビア人が叛乱を起こす。セルビア本国は、ほぼセルビア人の軍となったJNA(ユーゴ人民軍)を使い、領土確保・拡大を目指す。

 ↓

 セルビア人、クロアチア人、ボスニア人がほぼ同じ割合で居住していたボスニアでは、ボスニア人大統領イゼトベゴビッチが独立を宣言した後、各民族による領土争奪戦が始まる。セルビア人はユーゴ(≒セルビア)への編入を、クロアチア人はクロアチア本国への編入を目指した。

 この過程で、領土を確定させるために異民族の追放と殺戮が行われた。三民族の中では、背後に国家をもたないボスニア人が劣勢に立たされ、また犠牲者が多かった。

 

 

 

 導入より……

・本書はユーゴスラヴィアが死に至った経緯をたどる。

ユーゴスラヴィアは、歴史的な宿命や必然により解体したのではなく、特定の勢力によって意図的に破壊させられた。

 すなわち、平和的な体制移行から何も得られない人間たちが、合理的・計画的に戦争を遂行した。

・中心となるテーマの1つは、ミロシェヴィッチSlobodan Milosevecと、最大の分離主義者Secessionistとなったセルビア人である。

ミロシェヴィッチユーゴスラヴィア人民軍(JNA)Yugoslav People's Armyを掌握したことで、独立は流血を意味することとなった。

スロヴェニアミラン・クーチャン大統領Milan Kucan、クロアチアのフラニョ・トゥジマン大統領Franjo Tudjmanは、セルビアの挑戦を受けた。ボスニアのイゼトベゴビッチ大統領Alija Izetbegovicは状況をコントロールすることができなかった。

・国際社会がいかにして介入に失敗したかについても検討する。

 

  ***

 1 充電

ミロシェヴィッチの台頭

 セルビア共産党ミロシェヴィッチは、ナショナリズムを利用し権力を掌握した。

 1974年に改正されたユーゴ連邦憲法は、地方分権を強化する内容で、コソヴォKosovo(アルバニア人が多数派)とヴォイヴォディナVojvodina(マジャール人等が混在)に自治権を付与するものだった。セルビア民族主義者はこの憲法に不満を抱いていた。

 セルビアは連邦内で最大の国だったが、他の共和国や自治州と平等の扱いを受けていた。「戦争に勝ち、平和において負けた」という不満が、セルビアナショナリズムの根底に存在した。

 共産党幹部のミロシェヴィッチは、コソヴォ自治州におけるセルビア人のナショナリズムを利用し、権力闘争を行った。

 1987年、ミロシェヴィッチコソヴォ・ポリエKosovo Poljeを訪問し、コソヴォセルビア人から熱狂的な歓迎を受けた。

 かれはコソヴォ民族主義者や、ベオグラード・テレビ局を利用し、親友のスタンボリッチ大統領Stambolicを失脚させた。かれはコソヴォの独立宣言に対抗して、直接統治を開始した。

 メディアコントロールと大衆の扇動がかれの政治手法だった。

 

スロヴェニアの春

 スロヴェニアは西側との関係が深く、政治的・経済的に開放されていた。ミロシェヴィッチの下でナショナリズムをむき出しにするセルビアに対し、スロヴェニアは警戒を強めた。
 JNA(ユーゴスラヴィア人民軍)は活動家やジャーナリストを監視し、取り締まった。

 JNAは、外敵と、内部の裏切り者を排除することを目的としていた。将校団は社会から隔離された環境で育成され、秘密主義的だった。JNAは共産党統治の中核であり、スロヴェニア人はJNAへの反感を強めていった。

 この頃、ユーゴ国防省のマムラ提督Branko Mamulaが徴募兵を使役し自分のための城を建てている事実が、雑誌ムラディナMladinaによって暴露された。

 1988年、ジャーナリストのヤネス・ヤンシャJanes Jansa逮捕と裁判をきっかけに、スロヴェニア人の独立運動が加速した。

 

・反官僚革命anti-breaucratic revolution

 群衆を扇動し、政敵を失脚させたミロシェヴィッチ手法について。

 ミロシェヴィッチはヴォイヴォディナ、コソヴォセルビア民族主義者を扇動し、自治州の政治家(コソヴォアルバニア代表アジム・ヴラシAzim Vllasiら)を失脚させ、自身の手下であるセルビア人を置いた。また、モンテネグロではセルビア人との統合を唱える派閥を権力につけた。

 こうしてかれは、8つの共和国及び自治州のうち、半分の票を手に入れた。

 1989年の改正憲法自治州の権限を大幅に縮小させ、ベオグラードBelgradeに集中させるものだった。

 

スロヴェニアの反発

 アンテ・マルコヴィッチMarkovic大統領の経済政策は顧みられず、各共和国は民族主義と殺戮を選択した。

 自治州に対する弾圧を受けて、従来、セルビアとは友好的だったスロヴェニアで、大規模な反セルビアデモが発生した。スロヴェニアは自国の憲法改正によりユーゴスラヴィアおよびセルビアの統制を離れようとした。

 ミロシェヴィッチはJNAに軍事介入を求めたが、国防相ヴェリコ・カディイェヴィッチKadijevicはこれを拒否した。

 ユーゴ共産党会議において、スロヴェニア代表クーチャンらは、セルビアに反発し退場した。クロアチア共産党幹部もこれを擁護した。

 

クロアチアの夜明け

 ナチス時代のクロアチア独立国(NDH)以降、クロアチア民族主義は厳しく禁じられていた。当該国はナチス・ドイツの衛星国家としてユーゴ国内を占領し、民族主義団体ウスタシャの指揮の下、セルビア人・ユダヤ人を虐殺したからである。

 元JNA将軍のトゥジマンは、民族主義者に転身し数回投獄されたという経歴を持つ。

 国外のクロアチア民族主義者は、ユーゴスラヴィアの敵として取り締まりを受けた。セルビア民兵指導者アルカンArkan(Zeljko Raznatovic)は、元々、秘密警察の協力者として亡命クロアチア人や反体制派を暗殺していた。

 トゥジマンは民族主義者や国外亡命者と連絡を取り、クロアチア独立運動を開始した。

 1990年、トゥジマン率いるHDZ(クロアチア民主同盟)が選挙で大勝した。JNAやベオグラードの圧力は、このナショナリズム政党の追い風となった。

 5月、トゥジマンはクロアチア初代大統領となった。クロアチア市松模様(Sahovnica, Checkerboard)が掲げられた。

 

 2 発火

・クニンの反乱

 クロアチアのクライナ地方にはセルビア人が居住していた。かれらはオーストリアハンガリー時代に、オスマン帝国の防波堤として植民された人びとの子孫だった。

 ミラン・バビッチMilan Babicは、NDH時代、クロアチア民兵組織ウスタシャUstaseが自分たちを虐殺した記憶を呼び起こした。

 新生クロアチアは、クロアチア民族のための国家となり、憲法からはセルビア人ら少数民族は排除されていた。セルビア人はこれに危機感を抱いた。

 かれは当時のセルビア人政党であるSDS(Serbian Democratic Party)の指導者ラシュコヴィッチRaskovicを退け、クライナ・セルビアナショナリズムを扇動した。

 セルビア自治体であるクニンKuninで1990年8月、バビッチはクロアチア人排除を決行し、クロアチア警察を阻止した。同時に、クライナ・セルビア共和国Republika Srpska Krajinaの成立を宣言した。

 セルビアとJNAは、この動きを支持した。

 

スロヴェニアクロアチア武装

 JNAは、両国のTO(Territorrial Defense, 地域防衛隊)を武装解除した。2つの国はこの動きに反発し、スロヴェニアでは、国防省ヤネス・ヤンサが国外からの武器調達を開始した。クロアチアでは警察を軍事化するとともに、警察・軍事部門での非セルビア化de-Serbianizationを行った。

 クロアチア防相マリティン・シュペゲリMartin Spegeljは警察を国家防衛隊National Guardに編成し、JNAの武器庫と兵舎を制圧するようトゥジマンに要請したが、この過激な提案は退けられた。

 シュペゲリらの動向を監視するため、人民軍の防諜局(KOS Counter Intelligence Service)はシュペゲリの友人ヤガール大佐Colonel Jagarを利用し盗聴と盗撮を行った。

 

 連邦幹部会Federal Presidencyでは、ミロシェヴィッチ一派のヨヴィッチJovicが、クロアチア代表のメシッチMecicに詰め寄っていた。JNAは、クロアチアに対し準軍事組織を武装解除するよう要請していたが、クロアチアは拒否した。

 ミロシェヴィッチは、各国の独立は許したとしても、セルビア人居住区域は制圧しなければならないと考えていた。

 [つづく]

 

Yugoslavia: Death of a Nation

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『Cybersecurity and Cyberwar』P.W.Singer, Allan Friedman その2

 ◆サイバー戦争の実際

・ネットワーク中心の戦争Network Centric War……戦争におけるネットワークとコンピュータの比重の増大

サイバー攻撃によって、物理的な破壊と死をもたらすのは簡単ではない。しかし、いずれそういう事態は起こるだろう。

 

 ◆米軍とサイバー戦争

 2010年、合衆国サイバー軍USCYBERCOMが設立された。サイバー軍はサイバー防護部隊(軍の防護)、戦闘任務部隊(作戦の支援)、国家任務部隊(重要施設防護の支援)の3種に分類される。

 問題点……サイバー軍はサイバー空間のどこまで責任を有するのか? どこまでの権限を持つのか? サイバー空間と現実空間の境界線はどこか?

 NSAやDHS(国土安全保障省 Department of Homeland Security)とのすみ分けはどうなるのか。

 サイバー攻撃によって発電所がダウンした場合、サイバー攻撃によって報復するべきなのか、それとも敵の発電所を爆撃するべきなのか?

 攻撃に重点を置きすぎており、防御がおろそかになっている。三軍と並列してサイバー軍を置くべきではとの意見もある。

 

 ◆中国サイバー軍

 サイバー空間における最大の脅威が中国軍である。同時に中国はサイバー攻撃の最大の被害者である。とはいえ、その原因は、中国で利用されているソフトウェアの95%が海賊版であり、セキュリティが劣っている点にある。

 サイバー部隊の整備が続いているが、一方、中国軍の装備にも脆弱性が存在する(様々な世代にまたがる配備状況等)。

 課題……中国軍への文民統制はどのように達成されるのか。また、サイバー空間の軍事化によって、インターネットはどう変貌していくのか。

 

 ◆サイバー戦争時代における抑止力Detterence

 抑止のためには、相手に対抗する力が必要である。しかしサイバー攻撃においては、「相手」がだれか、どのような主体(国家、テロ組織、愛国ハッカー)なのかを特定するのが難しい。

 攻撃の兆候はすぐには発見できず、また反撃についても同様であるため、抑止力として機能するか疑わしい。

 

 ◆脅威見積もりThreat Assessment

 サイバー戦争における敵の可能行動等を予測するのは困難である。重要なのは、必ず不確実性が存在することを、戦略家たちが認識することである。

 

 ◆強者か弱者か

 サイバー戦争は、小国やテロリストでも低コストで参加可能である。サイバー戦力とネットワークに頼れば頼るほど、それだけ脆弱性も強くなる。

 しかし、現実世界も含めた総合的な力では、大国や豊かな資金には勝てないだろう。

 

 ◆攻撃か防御か

 19世紀末の攻撃至上主義は第1次世界大戦によって崩壊した。攻撃至上主義は、戦争の危険を増大させ、だれも望まぬ戦争を引き起こした。

 サイバー戦争においては、主導権をとれる攻撃側が優勢とされている。しかし、十分な防御はそれだけで敵の攻撃に対する牽制になる。

 

 ◆サイバー拡散Cyber Proliferationの危険性

 stuxnetや、ワーム等の兵器は、一度出回るとすぐにコピーされ、拡散する。

 

 ◆軍拡競争からの教訓

・急成長期の軍拡が最も危険である。

・軍拡よりも、対話のほうが安くすむ

 

 ◆サイバー軍産複合体

 サイバー関連産業の規模は拡大を続けている。サイバー産業の成長は、公共政策にも影響を与える。

 サイバー戦争への恐怖に煽られるのではなく、事態を正しく認識する必要がある。

 

  ***

 3 わたしたちは何ができるのか

 ◆もう1つのインターネット

 既存のインターネットから隔離された、別のセキュアなインターネットをつくるのは困難である。ネットワーク規模が増大すればするほど、セキュリティのリスクも増大する。

 国防総省の機密情報ネットワーク(SIPRNET)は、長年にわたりマルウェア感染と戦っている。

 

 ◆弾力性Resilienceとはなにか

 攻撃を受けても影響を局限し、任務を続行できることが弾力性の定義である。しかし、この言葉はあいまいである。

 弾力性は、何か特別な製品や、特別な組織編成によって達成されるのではない。弾力性には人間や手続きといった要素も加わる。

 

 ◆サイバー空間における公衆衛生Public Health

 疾病予防管理センター……CDC(Centers for Disease Control)は、もっとも成功した機関の1つである。

 著者は、サイバーCDCの設置を提唱する。

 従来のサイバー軍やスパイ機関といったアプローチに代わり、調査研究、脅威情報の解釈、情報共有と普及教育を目的とするサイバー機関を設立すべきである。

 

 ◆サイバー空間と海賊Piracy

 海賊が人類共通の敵となった歴史を鑑みて、サイバー空間においても、海賊行為を撲滅するために協調が可能かどうかを検討する。

 

 ◆国際機関の設立

 国際電気通信連合(ITU)は、電信における国際規範を確立した。近年、中国、ロシア、スーダン等は、ITUの管轄にインターネットも加え、各国の統制下におくべきだと主張したが、民主主義諸国はこれを拒否した。

 インターネットにおける国際的なガバナンスの実行にはまだ課題が多い。

 

 ◆サイバー空間条約

 地上戦におけるハーグ陸戦条約と比べ、サイバー戦争において交戦法規を定めるのは難しい。サイバー攻撃やサイバー兵器は、物理兵器のように目に見えにくいからである。

 しかし、CIAとKGBが暗黙の了解で結んでいた協定(属国のスパイは殺してもいいが、米ソお互いには殺さない)のように、明文化されるにしろされないにしろ、サイバー戦争の激化を抑制する何かしらの決まりはつくれるはずである。

 

 ◆政府の役割

 サイバー空間のインフラは民間に頼る部分が多く、またインターネットの構造上、国家による完全統治・支配は不可能である。

 しかし、サイバー空間に対し国家がいっさい関与しないという姿勢も、国家本来の役割……市民のためにあるという目的からは外れている。

 

 ◆どう組織化するか

 公共機関において、どのようにサイバーセキュリティを組織するかが問題である。縦割りは、非効率化や、脆弱性の原因となる。

 DHSは、合衆国全土のサイバー防護という重い責任を負っているが、権限はほとんどない。

 すべてのサイバーセキュリティ業務を情報機関にゆだねることは、市民の自由の観点から問題が生じやすい。

 私企業への働きかけには、インセンティブが重要となる。銀行は、詐欺やサイバー窃盗の被害をまともに受けるため、自分たちのセキュリティ向上には熱心である。一方、重要インフラ企業や機関では、セキュリティ対策への関心が低いことが多い。

 政府は、セキュリティの基準を定め、また研究調査を担うことができる。

 

 ◆官民の協同

 ワシントン・ポストの記者が、「McColoという会社の顧客にサイバー犯罪関連人物が多数いる」とブログで報じた。当該会社と契約するISPが次々と手を引いたため、インターネット上のスパムの量が7割まで減った。

 政府や公共機関と私企業との連携が、サイバーセキュリティの確保に不可欠となる。

 

 ◆演習

 様々な攻撃に備えたサイバー演習Excerciseは有効である。サイバー防御においては、特に組織としての活動や、各人の動きが結果を左右する。演習を行い攻撃に備えること、またサイバー戦を模擬することは、サイバー戦争の実態を広く普及させる方法にもなる。

 

 ◆サイバーセキュリティ・インセンティブ

 私企業においてセキュリティの意識を高め、対策をとらせるには、インセンティブが必要である。

・脅威を可視化すること。

・対策を産業化すること。

・基準を定め、私企業の自主的なセキュリティ向上を目指すこと。

 

 ◆情報共有Sharing

 サイバーセキュリティでは私企業同士、国と民間企業、各機関が脅威や警戒情報を共有していたほうが望ましい。

 プライバシーや企業の財産を保護しつつ、いかに情報共有を図るかが重要である。

 

 ◆情報開示Disclosureと透明性Transparency:

 

 ◆サイバーセキュリティの担保

 

 ◆サイバー人材の確保

 サイバー人材は非常に貴重だが、需要が高く、獲得が難しい。伝統的な企業風土とハッカーたちの性格が合わず、サイバー人材を必要とする場所に人材が集まらない例が多い。

 NSAは多様な採用方式をとっており、近年もっとも組織に貢献した職員は高校中退のアルバイトだった。

 ロシアからのサイバー攻撃を受けたエストニアでは、公的機関と民間の人材が協力し、サイバー防衛のための連合体制を発足させた。愛国ハッカーたちとは違い、透明性を確保しつつ、非政府人材・資本を活用している。

・教育への補助

 

 ◆自己防衛

・パスワード管理

・システムと装備……無線接続への注意、データバックアップ

・行為……クリックやファイル起動の際の警戒

 

 4 結論

 今後やってくるサイバー空間の潮流について。

クラウド……低コストで高度の情報共有、セキュリティを可能にする。

ビッグデータ……データ分析の強化と、情報流出、収集のリスク

・モバイルデバイス化……セキュリティリスク、無線の運用や限界

・ネットユーザーの遷移……インターネットはその利用者によって作られていく。既にスマートフォン利用者は、北米・欧州の総数を、アフリカでの利用者数が上回っている。中国人の利用者はネット世界の大部分を占めるようになるだろう。それに伴い、インターネット文化やその性格も変化していくだろう。

・IoT……あらゆる電子機器や家電製品がネットワークを通じて連接される。利便性の向上とリスクの増大。

 

  ***

 ◆所見

・サイバー戦争の定義や対策は過渡期にあり、それぞれの主体が、最善の方法を探している状況にある。

・サイバー戦・サイバー防衛については、官と私企業との連携、相互効果がかぎとなる。

・個人の意識やサイバー教育が、リスクを低下させる。

 

Cybersecurity and Cyberwar: What Everyone Needs to Know

Cybersecurity and Cyberwar: What Everyone Needs to Know

 

 

『Cybersecurity and Cyberwar』P.W.Singer, Allan Friedman その1

 サイバーセキュリティとサイバー戦争について、初心者や専門外の人間にも理解できるよう書かれた本。

 著者は軍事関係の話題を扱う解説書で有名である(『戦争請負会社』や、無人機、少年兵等)。
 

   ***
 サイバーセキュリティの重要性は高まりつつあるが、専門家とそうでない人たちの間で知識の差が生じている。本書はサイバーセキュリティについて初歩から説明する。

 具体的なサイバー戦争の実態だけでなく、国家や私企業の取り組みの現状と提言、将来の動向までを総合的に検討する。

 

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 1 しくみ

 ◆サイバー空間Cyberspaceの定義

・サイバー空間とは、コンピュータネットワークの空間である。そこでは情報の蓄積、共有、伝達が行われる。

・サイバー空間はデジタル、仮想Virtualであると同時に現実にも存在する。また、地球規模だが、国境がないわけではない。

・サイバー空間は常に進化している。

・サイバー空間は、私たちの文明、人生そのものを形作る。

 

 ◆インターネットの歴史

 インターネットの起源は米国防総省のARPANETである。当初、大学の研究所同士をつなぐネットワークだったが、やがてサーバは分散し、ネットワークの担い手は政府から非政府、企業等へ移っていった(政府の管理から、私的領域へ……Privatization)。

 インターネットの特徴は、パケット通信packetである。

 

 ◆インターネットのしくみ

・DNSサーバDomain Name System

・TCP/IP

・HTTP

・ルーティングRouting

・ISP

 

 ◆インターネットにおけるガバナンス

 開かれた、非権威的な、おおらかな統制、合意consensusが当初の理想だった。

・ICANN……The Internet Corporation For Assigned Names and Numbers

ドメイン名や、IP資源の割り振りをめぐって、国家、企業間の対立が生まれた。非中央集権的なインターネット空間における統制・統治の問題。

 

 ◆識別Identificationと認証Authentification

 どのように識別を行うのか。また、どのように認証を行うのか。サイバーセキュリティは、情報の共有と保護とのバランスによって成り立つ

・IPアドレスから人物を特定することができる。一方、偽装し、痕跡を消すこともできる。

・識別のためのパスワードや生体認証には抜け道がある。

 

 ◆セキュリティとは

 セキュリティとは、攻撃者から情報を守ることである。
・CIA

 Credibility機密性(情報の保全

 Integrity完全性(改ざん等がなされていないこと)

 Availability可用性(情報を利用できること)

 Resiliency弾力性(回復力)

・セキュリティの各目標に対して、それぞれ異なる対策が求められる。

 

 ◆脅威Threatsとはなにか

 攻撃者の目的、標的、手段によって、脅威は様々である。

・ソーシャル・エンジニアリングsocial engineering

・内部犯行……Wikileaks, Edward Snowden, Bradley Manning

・標的型

・サイバー戦……stuxnet

・産業スパイ

・営利目的の詐欺

ランサムウェアransom ware

 

 ◆脆弱性Vulnerabilitiesとはなにか

 脅威と脆弱性は別だが、脆弱性は、攻撃者による脅威を招く。

フィッシング詐欺Phishingは、真正のサイトやメールを装い、対象から資格情報Credentialsを抜き取る。

・ログインIDとパスワードを狙う

・プログラムに、コマンドを誤認識させる手段……buffer overflow

マルウェアMalwareボットネットBotnetsによるDDoSアタック

 サイバー空間においては、脆弱性はどのようなタイプの情報システムにも存在する。

 

 ◆サイバー空間における信頼性

・暗号化

・ハッシュ

・公開鍵方式Public key and Private key

・証明書Certificatesと認証局(CA)Certificate Authorities

・アクセス制御Access Controlは有効な情報保全の方法だが、大規模ネットワークでは完全な制御は不可能に近い。

・信頼性には、常に人間の要素が介在する。

 

 ◆Wikileaksとはなにか

 ジュリアン・アサンジによる開設と、反政府活動。イラク戦争関連のリークから、外交公電のリークまで。

 

 ◆APT:Advanced Persistent Threat
 APT(高度持続型脅威)とは、特定の標的を決め、組織的に、様々な手法を使って相手のシステムから情報を引き出したり、改変、破壊したりすること。

 

 ◆コンピュータ防御の基礎

 マルウェア・タイプは増え続けており、定義ファイルはその速度に追いつくことができない。このためウィルスセキュリティソフトは、振る舞い検知型のソフトを開発した。

・ファイアーウォール

・セキュリティパッチ

・暗号化

・システムの隔離……Air Gapping

 しかし、システムをネットワークから隔離することは、可用性や利便性を失うことにもなる。

 サイバー防御の要点は、様々な方法を多用することにある。

 

 ◆ヒューマンファクター

 重要情報を扱うシステムを操作する者に対しては、セキュリティに関する教育を行わなければならない。

 

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 2 重要性

 ◆サイバー攻撃の定義

 サイバー攻撃は、デジタル的手段によって、コンピュータを攻撃することをいう。

 力学的攻撃Kinetic Attack……銃や砲弾といった物理的攻撃との違いについて。

 

 攻撃の種類は、セキュリティの要件に従って分類することができる。

 機密性credibilityに対する攻撃……APT、データ窃取、

 可用性Availabilityに対する攻撃……DDos Attack,

 完全性Integrityに対する攻撃……改ざん、

 

 帰属問題The Problem of Attribution:

 サイバー攻撃においては、攻撃者を特定することが大変難しい。攻撃者は、犯人が別人であるかのように装う。また、政府と、非政府的な愛国ハッカーとの関係も、特定が困難である。

 攻撃の規模が大きくなればなるほど、原因特定は困難となる。また、原因特定においては、文脈と目的が重要である(公に非難したいのか、実際に法律で処罰したいのか)。

 

 ◆ハクティヴィスムHactivism

 ハッキングとアクティヴィスムとの融合。

・社会運動とのかかわり

・自由を求める運動が、過激化することで逆に自由を圧迫することもある。

・「手段は目的を正当化するのか?」

 

 ◆アノニマス

 アノニマスAnonymousは、2000年代中盤から登場した、匿名の、分散化していると同時に協調的なハッカー集団である。

・セキュリティ企業への攻撃

・Do-ocracy

IRC(Internet Relay Chat)や掲示板による会議

・AnonOps

トムクルーズビデオ……サイエントロジーへの攻撃

 

 ◆サイバー犯罪

・情報窃取、詐欺Scam、違法なビジネス、販売、盗聴・傍受Eavsdropping, Tapping

・サイバー犯罪の規模を測定することは難しい

・サイバー犯罪は、通常犯罪とは異なり、ネットワークインフラに寄生している。

 

 ◆サイバー諜報活動Cyber Espionageとはなにか

・2011年の標的型攻撃Operation Shady RATsは、大規模な諜報活動であることが判明した。

・諜報は、より経済的なターゲットに移行しつつある。経済活動におけるサイバー諜報が、国際政治問題となる。

・中国は急激に経済成長している。産業においては知的財産(IP, Intellectual Property)を奪うことが利益につながる。このため、多くのサイバー諜報が中国に関連している。

 

 ◆サイバーテロ

 サイバー攻撃によって大量殺人や大量破壊を引き起こすためには、人員やコストが必要である。サイバーテロの脅威は、ときに誇張される。

 実際には、テロリストたちはサイバー空間を情報共有や情報戦に使う。アルカイダや過激派たちは、宣伝、リクルート、通信にインターネットを活用している。

 

 ◆対テロリズム

 テロリストと同様、対テロリズム機関や組織も、サイバー空間を活用し、敵に反撃することができる。

 

 ◆セキュリティと人権とのバランス

 権威主義体制下では、インターネットによる発言や活動が自由化に大きな影響を与える例があった。こうした国では、サイバー空間における自由は、脅威として認識される。

 脅威に備えるべきか、人権を保障するかの判定は、だれがするべきなのか?

 

 ◆Tor

 TorとはThe Onioin Routerの略で、発信者と行先を、ノードにより分散化させ秘匿する方式である。サイバー空間における秘匿性、匿名性を確保する技術であるため、リスクにも自由の武器にもなる。

 

 ◆愛国ハッカーPatriotic Hackers

 ロシアや中国は、非国家主体である、自発的な愛国ハッカーたちをサイバー攻撃に利用することがある(ロシアのNashi「われら」等)。

 しかし、時に政府の統制を離れて暴れるため、中国ではハッカーを軍に組み入れる等、より管理されたハッカーの養成を始めている。

 

 ◆スタックスネットStuxnet

 2010年、イランの核開発施設を狙った巧妙な標的型攻撃が行われた。Stuxnetはサイバー戦争の歴史を塗り替える事件とされ、後にアメリカとイスラエルの関与(NSAとイスラエル軍8200部隊)が明らかになった。

 

 ◆サイバー戦争の定義

 サイバー戦争の定義は、「冷戦」の定義に似て、あいまいである。

 2007年、ロシアのエストニアに対するサイバー攻撃は、サイバー戦争を定義することの難しさを浮き彫りにした。厳密な戦争行為The act of warと定義した場合、NATOには救援義務、すなわちロシアに対する宣戦布告の義務があったからである。

 おそらく、サイバー戦争の定義は、物理的な破壊と死をもたらすもの、またその攻撃が直接的であることを要件とするだろう。

 しかし、戦争は政治の延長である。サイバー戦争の定義も、政治的判断の影響を強く受けることになるだろう。

 [つづく]

 

Cybersecurity and Cyberwar: What Everyone Needs to Know

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戦争請負会社

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ロボット兵士の戦争

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子ども兵の戦争

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『世界の名著 モンテスキュー』その3

 11 国家構造との関係において政治的自由を構成する法

 国家における政治的自由とは、法の許すすべてをなしえる権利である。

 専制には自由は存在せず、穏和政体にのみ存在する。

 国家には立法権、万民法執行権、私法執行権の三権が存在する。これを言い換えると、立法権、執行権、裁判権である。

 三権が一体化していれば、共和国であっても政治的自由はない。

 裁判権の行使者は、常に一時的であるべきである(陪審制の示唆)。

 立法権を担う団体は、各都市から代表を出すことで構成するべきである。生まれや身分で抜きんでた人間は、人民一般よりも優位に置かれ、代議員として参加すべきである。

 裁判権は、立法権および執行権と分離していなければならない。また、立法権と執行権も独立しているべきである。

 軍隊は立法権に従属してはならない。それは、法の軍事化か、軍隊の弱体化を招くからである。

 

 12 市民との関係において政治的自由を形成する法

 市民の自由は刑法の質に左右される。

 宗教の罪については、宗教活動を害するものは、平穏を乱す罪として取り扱うべきである。神を傷つける行為については、不完全である人間が神に対して仇を討つことはできない。神の冒涜に対する刑罰は、教会からの追放等であるべきである(異端審問や宗教的罪に由来する死刑の否定)。

 

 13 貢租の徴集と公収入の大きさ

 税金は人民にとって必要分のみ収められるべきである。

 

 ――一国の豊かさの効果は、万人の心に大望を抱かせることにある。貧しさの効果は、そこに絶望を生ぜしめる。大望は労働によりかき立てられ、絶望は怠惰により慰められる。

 ――……もし恣意的な権力が自然の報酬を取り去るならば、人びとはふたたび労働をいやがり、無活動が唯一の善と思われるようになる。

 

 軍拡競争は増税につながり、国を破滅させる。

 

 14 風土と法

 寒い国のほうが人間の徳があり、戦闘にも向いている。暑い国は快楽と恋愛に依存する。

 風土が生活様式をつくり、生活様式が法をつくる。

 

 15 市民的奴隷制と風土

 1奴隷制は人間の本性に反しており、君主制、共和制では絶対に持つべきではない。

 各市民の自由は公共の自由の一部であり、民主国家においては主権の一部である。

 奴隷制は、多民族への偏見にも由来している。

 

 ――知識は人間をおだやかにする。理性は人類愛に導く。それを捨てさせるのは偏見のみである。

 

 一部の国は、キリスト教に改宗しない者を奴隷とする法律を制定した。

 

 ――なぜなら、絶対に強盗であって、同時にキリスト教徒でありたいと思っていたこの強盗どもは、きわめて信心深かったからである。

 

 ネットで孫引きされる黒人奴隷に関する文言は、全体が反語として表現されている。モンテスキューは、「もし黒人奴隷制の権利を支持しなければならないとすれば、こう言うだろう」と書く。以下の文言は、すべて奴隷制擁護のばかげた例として挙げられているものである。

 

 ――かれらに同情することなど、ほとんど不可能なほどである。

 ――きわめて賢明な存在である神が、魂を、とくに善良な魂を、まっくろな肉体に宿らしめたもうたなどということは考えられない。

 ――これらの連中が人間であると想像することは不可能である。なぜなら、もしわれわれが彼らを人間と考えるならば、人びとはわれわれのことをキリスト教徒ではないと考えだすであろうから。

 

 人間は平等に生まれるため、奴隷制は、自然に反している。ただし、一部地域は除くという。

 

 16 家内奴隷制と風土

 女性はその本質上、男性に従属する。南部では、女性の老化が早いため、この傾向が強い。

 

 17 政治的奴隷制と風土

 ヨーロッパは自由人としての征服、アジアは奴隷としての征服がおこなわれた。アジアは広い平原を持つため大帝国が成立した。

 奴隷状態が極端でなければ、帝国には分裂が生じるからである。

 

 18 土地の性質と法

 豊かな土地は絶えず侵略にさらされる。このため、貧しい土地に住む民族が発展していく。島は大帝国の征服を免れやすいため、自由を好み、法を整備していく(イギリス)。

 貨幣のない民族は暴力を用いるが平等は維持される。

 

 19 国民の一般精神等

 民族は風土、宗教、法律、習俗、生活様式、格率に支配される。それらから、国民の一般精神が導かれる。

 法律は、一般精神を妨げないよう努めなければならない。

 犯罪は刑罰によって、生活様式は模範によって矯正させるべきである。

 

 20 商業と法

 商業は穏和な体制のもとで発展する。商業の効果は、平和へと向かう。しかし、商業は道徳を追求するわけではない。

 一方、商業を完全に奪えば、強盗行為を生み出す。しかし、強盗行為の精神は、ある種の道徳と対立するものではない。

 この時代、フランスでは、貴族は商業を禁じられていた。著者は、この慣習を擁護する。

 

 21 商業と法

 22 貨幣と法

 

 23 人口、貧困と法

 国土が荒廃し人口が減ったとき、土地の配分を行うべきである。

 

 ――国家は全市民に確実な生活の糧、食糧、快適な衣服、健康にけっして反することのない生活の仕方を保障する義務を負っている。

 

 救貧院は不慮の災害や事故に備えて必要である。ただし、一時的なものでなければ、怠惰を生むだろう。

 

 24 宗教と法

 穏和政体はキリスト教に、専制イスラム教に適している。カトリック君主制に、プロテスタントは共和制に適している。

 宗教的な戒律は、法律ではなく、掟や助言であるべきである。

 ストア派は有徳の市民をつくる点で重要だった。

 過度の瞑想は、宿命や無関心の態度を助長する。そして、「政体の過酷さや土地所有権に関する法律が無常の精神を与えるならば、すべては失われてしまう」。

 

 25 宗教的規律と法

 

 ――寺院の富、聖職者の富は、われわれの心をおおいに動かすものである。そこで、民衆の貧困自体が、貧困をひきおこした人びとが口実として用いたその宗教に、民衆を結び付ける動機となるのである。

 

 宗教的寛容は、法律によって保障されるべきである。抑圧されていた宗教は、自ら抑圧するようになる。

 布教に熱心な宗教は、ほとんどが不寛容な宗教である。

 改宗に関しては、刑法ではなく勧誘を用いるべきである。

 モンテスキューはスペイン・ポルトガルの異端審問を厳しく非難している。

 

 ――……はっきり申して、諸賢は度し難く、いかなる啓蒙や教育もなすことは不可能だといわざるを得ない。そして、諸賢のごとき人物に権威を与えておる国民は、まことに不幸である。

 

 ――もし、後世になって、このわれわれの生きておる世紀のヨーロッパの諸民族は開化されていたなどと言い出す者があれば、人びとは、諸賢を例にひき、いや、野蛮だったよと証明するであろう。そして、後世の人びとの諸賢についてもつ観念は、諸賢の世紀の名をけがすほどのものであり、そして、諸賢に対する嫌悪は、諸賢の同時代人のすべてに及ぶであろう。

 

 26 事物の秩序と法

 宗教の法と人間の法(法律)は分離されるべきである。これは、政教分離の主張だろうか。

 注釈によれば、宗教裁判所を批判する本章は、ローマ法王庁から強硬に削除を要求されたという。

 

 27 

 以下の章では、フランスにおける民法の展開をたどる。

 28 フランスにおける市民法

 29 法の作成の方法

 30 フランク族の封建法

 31 フランク族基本法

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世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)

世界の名著〈28〉モンテスキュー (1972年)