うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Moscow 1941』Rodric Braithwaite その2

 正規軍に加えて、大量の義勇兵が徴発された。多くの男女学生、農民、映画関係者、文学者たちが義勇兵として戦争に参加した。

 しかし、モスクワにおいてはその大多数が志願であり、だれもが前線に行きたがった。

 従軍作家シモノフは、前線の様子が、かつてのノモンハンとは全く異なることに唖然とした。ソ連軍の飛行機は次々撃墜され、兵隊は虐殺され、軍はドイツ軍に対してみじめに負けていた。

 しかし、かれは事実を公表することができず、善戦ぶりを褒めたたえる記事を書いた。

 

・体育学生たちは特別な部隊に召集され、特殊部隊としての訓練を受けた。かれらは高い水準の練度を維持したため、結果的にその他の義勇軍よりも長生きした。

 多くの義勇軍は、貧弱な装備と低い能力のまま前線に送られ、ドイツ軍に殺戮された。

・女性は看護婦としてだけでなく、兵士、パイロットとしても活躍した。女性パイロットの活躍は特に顕著であり、ソ連邦英雄になった女性が多数いた。

 同時に、女性たちは戦場で性的欲求の対象となり、セクハラ、暴行、性的搾取が蔓延した。

・作家、映画関係者、芸能関係者、音楽家たちは、プロパガンダ活動に従事するか、または塹壕を掘った。

 工場は24時間体制で稼働した。

スターリンは軍人たちを厳しく取り締まった。政治委員、NKVDによる専門督戦隊、懲罰部隊を編成し、指揮官から兵隊まで、まんべんなく処罰した。

 

 多くの高級軍人が失敗、無能、臆病、または不運のために逮捕され処刑された。包囲された者は、人間の盾になるのを防ぐため、家族も呼ばれて処刑された。捕虜になった者は裏切り者として処刑された。

 命令270号、命令227号を根拠に、各部隊に懲罰部隊が作られた。部隊はさまざまな規律違反者によって構成され、危険な前線に送られた。

 モスクワの防空態勢構築に関しては、当初はレニングラードを参考にしようと考えられた。しかし、冬戦争におけるフィンランド空軍の攻撃は微力だったため、あまり参考にはならなかった。

 英仏を参考に、地下シェルター、空襲警報、建物のカモフラージュ、灯火管制等が整備された。

 英本土空襲とは異なり、ドイツの空爆は小規模だった。これは、ロシアの諸都市まで距離があったこと、滑走路の質が悪かったことによる。それでも、モスクワだけで2000人以上が死んだ。
 スターリンはモスクワの防空態勢を確保するために、前線に多大なコストを強いた。やがて、赤色空軍がドイツ空軍に対し優勢に立った。

 

 3

 モスクワ防衛線の指揮はSTAVKA(ソ連軍総司令部)およびGKO(ソ連国家防衛委員会)がとった。

 1941年10月、ドイツは赤軍の防御を突破し、包囲を行った(ドイツによる「タイフーン作戦」)。

 ヴァジマ、モジャイスクといった都市がドイツ軍に包囲され、陥落していった。

 スターリンは当初、包囲の報告をした将軍と偵察パイロットを虚偽としてNKVDに逮捕させようとしたが、事実と判明すると、当該将軍は昇任した。

 

 多数の義勇兵が前線に送られ、大量死した。

 ドイツ軍がモスクワに接近するにつれて、市内でもパニックが起こった。NKVDは、スターリン直接の命令により敵占領後の抵抗活動を準備した。また、一部の技師はスターリンのための秘密の地下壕を郊外に建設した。

 後年、秘密の地下壕は観光名所となり、訪れる人は「建設者が口封じのために全員射殺された」という伝説を信じた(事実ではない)。

 [つづく] 

Moscow 1941: A City & Its People at War: A City and Its People at War

Moscow 1941: A City & Its People at War: A City and Its People at War

 

 

『Moscow 1941』Rodric Braithwaite その1

 ロシア・ソヴィエトの首都であるモスクワと、その住民、また政治家や軍人を中心に、かれらがいかにドイツ軍の侵略に耐えたかを説明する。

 当時のモスクワの様子が細かく書かれており、知らなかった情報が多数含まれていた。

 

 この本は、中国を旅行している最中に外国人旅行者からたまたまもらった。


 1

 地勢と成り立ち。

・モスクワは要塞都市として生まれ、近代に入るまで、ほとんどが木造建築だった。19世紀、大都市になってからも、住民のほとんどは農民出身だった。やがて工場労働者が増加し、併せて社会不安も増大していった。

・ナポレオンの侵攻の際には、焦土作戦により市中を焼き払うことで、フランス軍の拠点化を防いだ。

・1917年の革命によってモスクワはボリシェビキたちに制圧された。以来、モスクワの共産党支部とソヴェト委員会は、将来のリーダーが務めるポストとなった。

 革命後も、モスクワは大きな村といってよかった。

 農家や畜舎があるだけでなく、人びとはお互いに顔見知りで、強い共同体が形成されていた。党は邸宅や集合住宅を住民に割り当てたが、住宅不足が深刻であり、不遇の人びとは職場や階段の下、屋根裏などに集住した。部屋を手に入れた者も、数家族が合同で生活することになった。

 ロシアン・マフィア「法の泥棒」についても言及されている。

 

 文化と教育

 30年代は、大粛清という負の側面がある一方、教育や文化の振興が進んだ時代でもあった。

 青年は高等教育機関に進み、学問を学んだ。また、当時の児童生徒はほぼあらゆる欧州の古典に触れることができた。

 芸術……作家や画家は党への奉仕を強いられた。映画はスターリンが好む芸術の1つだった。

 

 赤軍

 独ソ戦にいたるまでの赤軍の経緯が説明される。

 赤軍は内戦を通して手に入れた貴重な将校たちを大粛清で失った。その結果は冬戦争の失敗であらわになり、スターリンは軍の改革と、失脚した将校の復帰を命じた。

 ロコソフスキーは逮捕され歯を8本失ったが、処刑前に解放され再び要職についた。面会時、スターリンは拷問のことなどなかったかのように、将軍に対し「久しぶり」と声をかけた。

 スターリンの偏執狂的な意志に従い、大粛清を主導したエジョフは、いけにえとして処刑された。

 陸軍が過酷な拷問と処刑にみまわれる一方、空軍とパイロットはスターリンのお気に入りであり、英雄としてもてはやされた。

 スターリンは対独戦の可能性を見落としていたわけではない。かれは対独戦の時期をひきのばしつつ軍備強化に努めていたが、英仏が予想以上に早く大陸から駆逐されたことで、ドイツの侵攻時期を見誤ったのだった。

 

 2

 GRU(赤軍参謀本部情報総局)、軍高官(ティモシェンコジューコフら)は1941年6月22日のドイツ侵攻を察知していたが、スターリンは取り合わなかった。

 当日の朝に多数の兵や将校が家族もろとも死んだ。第1次大戦時代の兵器を寄せ集めた予備役の部隊がすぐに撃破された。このとき、多数の軍人が休暇をとっていた。

 軍最高首脳や、国境配備の指揮官たちは、態勢強化を申し出ていたが、ドイツを刺激するとして、スターリンに拒否された。

 モスクワ市民の多くは、戦争が始まったというモロトフの演説放送を聞いても実感がわかなかった。

 スターリン赤軍前線が崩壊していくとの報を受けて、数日間ダーチャ(別荘)に引きこもった。これは、スターリンの失策に乗じて権力を掌握しようとするものがいないか、部下たちの忠誠心を試したと考えられる。

 7月3日、スターリンは初めて演説放送を行った。

 かれは、ドイツが条約を破り不意打ちしたことを認め、また、ナポレオンやドイツ帝国と同じように、ヒトラーもロシアを打ち破ることはできないと主張した。

 この演説は独ソ戦の最初の転換となった。赤軍は態勢を立て直し、ドイツ軍の侵攻を一部で押しとどめていた。

 

[つづく] 

Moscow 1941: A City & Its People at War

Moscow 1941: A City & Its People at War

 

 

 

『短篇集 死神とのインタヴュー』ノサック

 ハンブルク空襲の最中に、若い軍人に助けられた女の話。語り手は、女から軍人本人または軍人の親類ではないかと勘違いされる。

 ――大きな激動の時代には、われわれはみんな互いに似通ってくるのだろうか。あるいは、こういう時代には、個々人のもつ考えが壊れた境界線を踏み越えて、共通の場へ出てゆくのだろうか。そしてそこで、遅かれ早かれ、同様にひどい目にあったほかの人から生まれた考えと出会う。こうして共通の運命を体験したことを確認しあう。

 

 カサンドラ

 アパッショナータ

 死神とのインタヴュー

 町に潜む死神家族との会話。死神の男は町をうろつき、通りかかった子供を交通事故で死なせてしまう。語り手の作家Nはなんてひどいことをするのか、と思う。

 

 童話の本

 海から来た若者

 実費請求

 クロンツ

 

 滅亡

 ハンブルクの空襲を目撃した記録。ノサックの作品のなかでも有名なものらしい。連合軍の空襲によって大量の市民が殺戮され、生活基盤が破壊された。人びとは焼け出され、市内から逃げ出してきたが、やがてまた戻っていく。

 実際に見聞した内容に基づいているようだ。

 市民のなかで、敵軍に対して恨みを抱くものはほとんど皆無だった。かれらは、何もできない無力な国と政府を恨み、また、国に対して何事かを期待していた自分たちを軽蔑した。

 自分たちの生命と生活を破壊された人びとに対して、何か指導的な言葉を投げつけることが果たしてできるだろうか。

 

 オルフェウスと……

  ***

 オデュッセウスや神話を題材にした数編をのぞいて、ほぼすべての話には戦争が関わっている。空襲や戦争のために翻弄された人びとだが、完全に人生をあきらめているわけではない。 

 

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫)

 

 

『エネルギー問題入門』リチャード・ムラー その2

 3 代替エネルギー

 太陽、水力、風力、原子力等、それぞれに強力な信奉者がついておりまともな議論は容易ではない。

 太陽エネルギーは急速に発展しているが、かぎとなるのは導入コストや維持費、効率である。運用に人件費がかかることから、途上国で発達する可能性を秘めており、温暖化対策にも有効である。ただし、根本的にエネルギーの生産量は低い。

 風力発電の問題……エネルギー生産量が少ない、タービンがうるさくて不恰好、風のある場所が都市部から離れており、送電網の敷設に土地の取得など費用がかかる。

 燃料電池天然ガス

 原子力発電に関する基本的な事項は次の通り。

・原子炉で使われる低濃縮ウランは、核兵器用の高濃縮ウランとは異なるため、絶対に爆発しない。

原発の建設コストは高いが、維持費は最も安い。

・中規模原発は、かつての大惨事を起こすような事故の危険性を解消した。

・燃料用ウラニウムの枯渇は今後9000年分ほどある。

・核廃棄物貯蔵は技術的には難しくないが、公共認識と政治的駆け引きが重要である。

原発は世界各国で開発が進んでいる。

 核廃棄物貯蔵は技術的には問題ないが、イメージが悪く自治体に拒否される。

 核融合技術は太陽の発熱と同じ原理を目指すものだが、実用化はまだ遠い。代表的な制御法として、トカマク炉、米国国立点火施設、ビーム核融合ミューオン核融合常温核融合があげられる。

 誤った研究、間違った結果に注意しなければならない。

 ――事実、自己疑念は科学的方法になくてはならないものです。科学者も、思い違いをする才能にかけてはほかのだれにもひけはとりません。

 ――エネルギー分野の夢のような話は、信頼性を失ったあとでも、根強く残るということです。本当の科学的発見(Ⅹ線や高温超伝導など)は、通常すみやかに立証されます。実際の話、科学界は発見に対しては非常にオープンですが、それを立証するためには高い基準が要求されます。

 バイオ燃料には温暖化抑制効果はなく、その機能は安全保障である。よって、競争相手はシェールガス、合成燃料、シェールオイルである。

 その他、地熱、潮汐、波力を利用した発電については、あまり期待ができない。

 クリーンコールは、CO2排出を削減した石炭発電である。ほかの代替エネルギーよりも実現性があるため、途上国に支援するならクリーンコールの利用か、天然ガスへの転換を促したほうがいいと著者は考える。

 

 4 エネルギーとは何か

 エネルギーとは仕事をする能力をいう。仕事とは、力×距離である。力とは質力×加速度である。

 エネルギーは質量に変換することができる。実際には、2つは同じものである。また、エネルギーは時間とかかわりがある。

 

 5 未来の指導者へのアドバイス

 将来のエネルギー問題において重要な技術は……

・エネルギー生産性

ハイブリッド車や他の燃費向上自動車

シェールガス

・合成燃料

シェールオイル

スマートグリッド

 急発展する可能性のある技術

太陽光発電

風力発電

原子力

・電池

バイオ燃料

燃料電池

フライホイール

 耳触りのよいスローガン、流行りもの、過度の楽観主義や懐疑主義によって判断をゆがめられてはいけない、と著者は警告する。

 

 ◆メモ

 原子力発電の効果とリスクについては学者ごとに見解が異なるため様々な考えを比較する必要がある。

 

エネルギー問題入門―カリフォルニア大学バークレー校特別講義

エネルギー問題入門―カリフォルニア大学バークレー校特別講義